とんでもございませんとはとんでもない

| コメント(2) | トラックバック(0)

「とんでもございません」とは良く使われるいい方だ。かくいう筆者も使ったことがある。あることがらを強く否定するときに用いられる。たとえば「あなた、わたしを馬鹿にしてるんですか」と気色ばった相手に対して、「とんでもございません」という風に。

ところがこれは文法上間違った言い方なのだと、日本語のご意見番として知られる萩野貞樹氏はいう。「とんでもございません」は「とんでもない」という言葉を丁寧にいった形だと受け取られているが、それは語尾についている「ない」を、独立した品詞だと勘違いすることから起こる誤解で、「高くない」や「うれしくない」と「とんでもない」とをごちゃ混ぜにしているのだ、そういうのである。

「とんでもない」は「あどけない」や「せわしない」などと同様、語尾に「ない」をつけた形容詞だ。一方形容詞の否定形として「高くない」とか「きれいじゃない」とかいう言い方がある。両者とも似ているようだが、文法上の用い方が違う。「あどけない」はそれ自体でひとつの言葉なのに対して、「高くない」は「高い」という言葉の否定形なのだ。

このように「とんでもない」は、全体としてひとつの言葉なのである。だから「とんでもない」を、「とんでも」と「ない」に分解し、「ない」のかわりに「ございません」をつけて、「とんでもございません」と言い換えることは、言葉本来の姿から外れている。その証拠に「あどけございません」とか「せわしございません」とはいわないでしょう、というわけだ。

それにもかかわらずこの言い方が頻繁に用いられ、一部の辞書までがそれを容認しているのはどうしたわけかと、氏は自問する。それは「悲しくございません」、「在庫がございません」などからの類推が働いていることのほかに、日本人には言い切りの部分をなんとか敬語で押さえたいとする心理が働くからだろうと、氏は思い至る。

たとえば上の例に出てくる気色ばった人に対して「とんでもない」と答えれば、それは失礼を重ねることになるのではないか。言葉遣いがぞんざいだと受け取られるのではないか。そうした心理が働くために、「ない」を敬語の形にして、「とんでもございません」などと、変な日本語を使うようになったのではないか、そう氏は推理するのである。

氏はいう、形容詞だけは言い切りの形でも不自然ではない、もし言い切りですますのに抵抗があるのなら、ほかの言葉で補うのが上手なやり方だと。たとえば「とんでもない、そんなことはございません」という風に。





≪ 酔って候:二段活用から五段活用へ | 日本語を語る | そばの語源 ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/1737

コメント(2)

「とんでもございません」や飛天さんご指摘の「美味しかったです」、不適切だとは知りながらも使っています。後者の方は特に変だという気がするものの、つい使っているのが実情です。最近はら抜き言葉もだんだん普及しているようですね。これはさすがに使っていませんが、しかし時代とともに言葉というものはだんだん変わっていくもので、仕方がない、というか、それが自然なことにも思えます。以前に「いっそ遠くまで行って」などの「いっそ」はもともと「一層」という言葉であったが長い間に変化して使われるようになった、ということを聞いたことがあります。こんな風にそれぞれの時代に、惜しまれながらも、いろいろの言葉が変わってしまうのでしょう。事実、江戸時代の言葉や字を今の私たちが理解できるかと言ったら、勉強しないとできない。万物流転、ということだと思います。
興味深いブログですね。これまでは個人がネットを通して発信する情報にあまり意味を見いだしていませんでしたが、このブログは読んでみようと思いました。

良くぞ取り上げて下さいました。 前から気になって気になって仕方なかったのです。 で、もしかして、此方でその事がと心密かに思っていたのです。

昔、父が 「丁寧ぶって ”とんでもございません”とか”申し訳ございません”なんて言う人がいるけどね、そんな風に言っちゃ駄目なんだよ。 それから”情けない”も同じ事で、”情けございません”とは言わない。 これは間違った言い方でね、丁寧に言いたけりゃ、ちゃんと ”とんでもない事でございます”、 ”申し訳ない事でございます”とか ”情けない事でございます”という立派な使い方があるんだよ。」 と、話してくれたのがまるで昨日の事のようです。

そんな訳で、一度も話す時、書く時にも使った事がありません。 人には畏まった、固い感じを与えるかも知れませんが、父から教えられ、それが正しいので今でもその時の状況によっては使っています。

それからもう一つ気になってるのは、 きれい、美味しい、楽しい、素晴らしい等の形容詞の使い方です。 一昔前は子供が作文なので、叉は他所の大人から訊かれて ”西瓜、美味しかったです!。” と丁寧に言ったつもり、叉はお兄ちゃんになったつもりで書いたり、言ったりしたのでしょう。普段だったら ”西瓜、美味しかった!”というのですが、子供なりによそ行き風に、大人になったつもりで ”です”をつけたのがそもそも始まりではないかと思います。 最初、周囲の大人、家族は可愛いねと苦笑しながらも目を細めていたかも知れませんが、それが何時頃からか正しい言い方として捉えられるようになって。。。

子供がそう言ってご愛嬌でしたが、今は大人が堂々と使っています。 それにも拘らず 大人が ”美味しいです”とか ”楽しかったです”なんてと言うと、少しばかり稚拙な感じを未だに受けてしまうのです。 これは私があまりにも言葉に固執し、考え方が古いからかも知れません。 厳密に言えば ”美味しい!”美味しかった!”と言い切るか、後に品詞を持って来て ”美味しいお菓子です”とか ”美味しいお菓子でした”といえばよいのでしょうが。

過去の事だったら、目上に対しては”美味しうございました”とか ”楽しうございました”といえば良いのですが、現代人には丁寧過ぎ、堅苦し過ぎるかもしれませんね。

同等や目下には ”美味しかった(わ)”とか ”楽しかった(わ)”と言ってます。

すみません、脈絡もなく色々書いて、申し訳ない事でございます。

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

最近のコメント

この記事について

このページは、が2009年8月22日 19:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「人間と動物の視野」です。

次のブログ記事は「カム・トゥゲザー Come Together:ビートルズの世界」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。