ユニークな文化人類学者で、20世紀の知の枠組みに大きな影響を及ぼしたクロード・レヴィーストロース Claude Lévi-Strauss(上の写真:AFP提供)が死んだ。昨年の暮れに100歳の誕生日を世界中で祝福されたばかりだった。遺体は本人の生前の希望により、南仏コート・ドールの森の中に埋葬された。
レヴィ・ストロースは構造主義人類学を打ち立てた人として知られる。それまでの文化人類学が、フィールドワークの膨大な情報の中から、人類の文化の多様性を展開して見せるのに重きを置いていたとしたら、やはりフィールドワークから出発しながら、人類の思考や文化における普遍的なものを抉り出すことに重点を置いた。
彼の名声を決定的なものにしたのは、「悲しき熱帯」 Tristes Tropiques 1955と「野生の思考」 La Pensée Sauvage 1962だ。未開人を対象にしたこれらの研究は、未開人が野蛮で非合理であるという迷信を覆し、未開人にも文明人と共通する普遍的な原理が働いていることを明らかにした。
未開人といわれる人々も、思考のパターンや社会構成の原理において、文明人と基本的に異なるところはない。ただその現れ方がユニークなだけだ。そのユニークさがもつ文明人との差異は、文明人相互の間の差異と根本的に変わるところがない。重要なのは、人類全体に共通するこの普遍的なものを見据えることだ。そうレヴィ・ストロースは考えた。
彼は、人類全体に共通する、思考や文化のパターンを構造と呼んだ。このパターンは、哲学や人文諸科学、そして社会科学にも適用が可能だ。こうしたことから彼の構造主義的方法は、文化人類学の分野を超えて、広い分野での賛同者を獲得した。
1960年代から70年代にかけて、構造主義は時代を画する大きな思想運動に発展した。この時期、日本のモノ書きたちも、流行に乗り遅れまいと、競って構造主義という言葉を連発していたものだ。かくいう筆者もレヴィ・ストロースの著作の日本語訳を読み漁ったものだ。
だが80年代に入ると、レヴィ・ストロースの威光はやや衰えて、ミシェル・フーコーやロラン・バルトを中心にしたポスト構造主義が盛んになった。彼らはレヴィ・ストロースのように人間の中の普遍的で、したがって非歴史的な原理を強調するのではなく、人間の思考や行動が、社会や歴史と密接に絡み合っていると主張した。
こうした動きを前に、レヴィ・ストロースは苦々しい顔でこういっていたものだ。現代人にとって、思想もまたファッションのようなものだ。人々はひとつの思想にいつまでもしがみついてはいない、それに飽きると、又別の思想を追い求める。自分の思想はそんな流行とは縁がない。自分が求めているのは、あくまでも普遍的な原理なのだ。原理は主義とは違ったものだ。だから自分は構造主義者と呼ばれることを好まないと。
レヴィ・ストロースは20世紀の知の地平を過ったどの思想家たちよりも長生きした。そんな彼にとって、思想上の運動やら何々主義といった言葉はバカバカしく聞こえていただろう。
(参考)Claude Lévi-Strauss, 100, Dies; Altered Western Views of the 'Primitive' By Edward Rothstein New York Times
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