屁を放つとエアが抜ける

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最近こんなことがあった。ちょっぴり太目のわたしの若い友人が、突然顔を青くして辛そうな表情を見せたかと思うや、「エアが抜けそう」と叫んだ。何のことかといぶかっている間もなく、友人のまわりには異臭が漂い始める。ははあ、この男は屁を放ったのだ。

それにしても「エアが抜ける」とは面白い表現だ。普通、生理現象としての放屁のことは、「屁を放つ」とかしこまっていうほか、「おならをする」とか「屁をこく」とかいうものだ。これらの表現をよく分析してみると、そこには放屁する人間の主体的な行為が含意されているように思える。屁というものは、意識して放つものであって、我慢の出来ないものではないという了解がある。

ところがこの友人が発した「エアがもれる」という言い方は、腹の中にたまったガスが、自分の意思とは関わりなしに、外部に漏れ出てしまうということを含意している。そこには「屁を放つ」におけるような、放屁者の主体的な行為であるという意味合いが薄れている。

同じ生理現象でも、放尿や脱糞のほうは、行為の主体が意識的に行う場合のほかに、意に反して行われる場合もある。この場合には、「する」あるいは「出す」という積極的な表現ではなく、「漏れる」あるいは「出てしまう」という消極的な表現が使われる。これは放尿や脱糞が、場合によっては意識的にコントロールできないほど強烈な衝動であることを物語っている。

それに対して、屁というものは、基本的には我慢できるものなのだ。それが我慢できない人間は、だらしのない人間だと受け取られる。自分の肛門の筋肉もコントロールできない奴は、軽蔑に値するというわけなのであろう。

この友人の場合については、放屁をコントロールできないほどだらしのない人間だとは、筆者は考えていない。彼の場合には、最初から放屁を抑制しようという意思がなかったのだ。つまり周囲のものに自分の匂いを嗅がせてもぶしつけとは考えなかったわけだ。

といっても自分は好き好んであなたに屁をお見舞いするわけではありませんよ、できたら屁などしたくないのですが、どうも自分の生理的な状態が、屁を体外に放出させたがっている。自分はその衝動に素直に従っているだけなのです。だから自分の意思にもとづいて「屁を放つ」のではなく、屁のほうで勝手にもれ出て行くのです。

どうもこんな風に思っているようなのだ。そこで筆者はその男にこう応えてやった。

「普通エアが抜ければチューブはペチャンコになるものだが、きみの場合にもハラワタがペチャンコになった分、多少はスリムになれたかね」

思いかけず臭い目にあわされたおかげで、こんなつまらぬ繰言をいう羽目になった。





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アハッハ! 「パンタグリュイエール」 を思い出しました。

私だったら、”今日此処のへに 臭いぬるかな ~” って言うかも知れません。

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このページは、が2009年12月 8日 20:50に書いたブログ記事です。

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