地震の詩

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New Yorker の Web 判に、先日 Earthquake という詩が載った。ハイチの地震で死んでいった人を悼んでのことだったらしい。作者はどんな人か良くわからぬが、署名にエメ・セゼールとあるから、ハイチの人かもしれない。

ところがこの詩をめぐって、未対面の人からメールが届いた。勉強会でこの詩が取り上げられたが、わからないところがあるので、読解してもらえないかという。

実は筆者もこのメールを受けて、始めてこの詩の存在を知ったのだった。読んでみると、メール氏が解釈に迷うのも無理がないと思われるほど、難解な詩だ。どうやら語り手は大昔の地震で死んだ人の霊魂らしい。その霊魂の立場に立って、地震の傷跡を語ったものであるらしい。

そんな風にとりあえず受け止めた上で、訳してみた。メール氏がいうにはもともとフランス語で書かれたものの英訳で、しかもイメージの使い方がかなり奔放だ。だから直訳できる代物ではない。

なおこの詩を書いたセゼールというひとは、これもメール氏によると、2008年に死んだという。だからこれは今回のハイチ大地震を題材にしたものではない。だが今回死んでいった人の霊魂は、過去の霊魂と同じように感じるに違いない。(その霊魂は20万人以上に及ぶと報道されている。)


地震 エメ・セゼール(壺齋散人訳)

  家族の家系がそこで断ち切られ 陥没したんだ
  そのあとからこだましてくるのは ぼくらの名前だろうか
  ぼくらの何がこだまするんだ
  地震に生き残った家族の話にこんなのがある
  「大昔 自分らは蛇のように汚い血を この谷間から追い払ったのさ
  そのとき地は揺れ石のライオンは吠え立てながら我々の足に食いついた」

  眠り 眠れない眠り ざわつく心臓
  君の心臓がぼくの心臓の上に重なる 割れた皿みたいに
  真昼のドブに積み重なっている
  言葉だって? そいつをすりつぶして空虚な記憶を呼び戻せ
  昆虫が羽をこすり合わせて音を出すように

  つかまる つかまる つかまる 確実につかまる
  つかまる つかまる つかまる
  さかさまになって深遠に飲み込まれる
  理由もなく吸い込まれる
  ところがいきなり たしかなものにぶつかった
  それはとっくの昔に忘れ去られてしまっていた
  ぼくらの名前だった


Earthquake by Aimé Césaire

such lines of all too familiar lines
staved in
caved in so the filthy wake resounds with the notion
of the pair of us? What of the pair of us?
Pretty much the tale of the family surviving disaster:
"In the ancient serpent stink of our blood we got clear
of the valley; the village loosed stone lions roaring at our heels."
Sleep, troubled sleep, the troubled waking of the heart
yours on top of mine chipped dishes stacked in the pitching sink
of noontides.
What then of words? Grinding them together to summon up the void
as night insects grind their crazed wing cases?

Caught caught caught unequivocally caught
caught caught caught
head over heels into the abyss
for no good reason
except for the sudden faint steadfastness
of our own true names, our own amazing names
that had hitherto been consigned to a realm of forgetfulness





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エメ・セゼールについて、その後多少知るところがあった。
彼は1913年にフランス領マルティニックに生まれ、フランスで教育を受けた後、詩人および政治家として生き、2008年に死んだ。
詩人としてはシュール・レアリスト、政治家としてはマルクス主義者だった。
黒人の解放を目指した彼の政治姿勢は、フランツ・ファノンに深い影響を及ぼしたといわれる。

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