川越・一番街:水彩で描く風景

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川越駅より北の方向へ二キロほど行くと一番街という通りに出る。南北数百メートルのこじんまりとした通りであるが、ここがかつての古い街並が残されている所である。名高いだけあって、古びた土蔵造りの店舗が数多く立ち並んでいる。とりわけ北側の札の辻付近は最もよく保存されている地域で、土蔵群がかなりな長さにわたって連坦している。

古い街並といっても、川越は徳川時代を通じて何度も火災に会い、その度に町が消失しているので、江戸時代に遡るような建物はそう多くはない。現在に残る街並は明治二十六年の大火以降に形成されたもので、現存する建物のほとんどはこの時期に建てられたものである。この大火はすさまじかったようで、町のほとんどが焼けたが、堅固な耐火建築物がわずかに残った。人々はそれを見て耐火構造の重要性を知り、以後競って土蔵造りを取り入れたという。

川越は小江戸と呼ばれ、町家の賑わいも江戸並みの景気の良さだったが、江戸同様火事も多かったのである。それにしても、復興された街並を見ると、明治も半ばというに、家の作りの伝統的な様式といい、屋根には派手な鬼瓦を載せていることといい、当時の人々の嗜好がいまだ徳川時代そのままだったことに驚かされる。

この時期このような形で町を再建したということの背景には、やはりこの町の経済力といったものが働いたのだろう。明治維新を機に関東の多くの都市は時代の趨勢に飲まれて衰退したのであるが、川越は明治以降も江戸の余韻を漂わせながら繁栄を続けたのだ。

この絵の中央にある建物は明治二十六年の大火にも焼け残ったもので、寛政六年(1792)に建てられたという。江戸期の商家としては珍しく間口の広い作りであるが、装飾はそうけばけばしくなく、この町の店蔵の中では最もシンプルな部類に属する。(平成14年10月記)





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