2010年4月アーカイブ

「オツベルと象」は宮沢賢治の童話のなかでもわかりやすい作品だと思われている。そんなためか、この作品は賢治が生前に発表した数少ないもののひとつだし、また後になって教科書に取り上げられたりもした。

宮沢賢治が音楽好きだったとこはよく知られている。レコードを収集しては、学生や友人に聞かせたり、また自分で楽器を演奏したりもした。そんななかでチェロは気に入ったようで、当時としては非常に高価だったこの楽器を購入したうえ、わざわざ上京して弾き方を習っている。もっともついに上達することはなかったが。

ボードレールは1858年9月の現代評論誌に「アシーシュの詩」を発表し、1860年1月の同誌に「アヘン吸引者」を発表、同年6月両者をまとめて「人工の天国」Les Paradis Artificiels と題して出版した。ボードレールの麻薬研究ともいうべき問題作である。

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スペインはバルセロナの病院で顔の全面移植が成功したそうだ。事故で顔がメチャクチャになってしまった人に、死んだ他人の顔を移植し、それに血を通わせることによって、生きた顔を甦らせたのだ。

杜甫の五言律詩「客有り」(壺齋散人注)

  患氣經時久  氣を患ひて時を經ること久しく
  臨江卜宅新  江に臨んで宅を卜すること新し
  喧卑方避俗  喧卑 方に俗を避け
  疏快頗宜人  疏快 頗る人に宜し
  有客過茅宇  客有りて茅宇を過ぐ
  呼兒正葛巾  兒を呼びて葛巾を正す
  自鋤稀菜甲  自ら鋤けば菜甲稀なり
  小摘為情親  小しく摘むは情親の為なり

杜甫の五言絶句「絶句二首其二」(壺齋散人注)

  江碧鳥逾白  江碧にして鳥逾(いよ)いよ白く
  山青花欲然  山青くして花然(も)えんと欲す
  今春看又過  今春又過ぐるを看る
  何日是帰年  何れの日か是れ帰る年ならん

「から騒ぎ」の中ではベネディックと並んで道化的な人物がもうひとり出てくる。警察官のドグベリーだ。警察官に犬の名を与えたのはシェイクスピア一流の才気からだろう。だがこの男は単純な道化ではない。劇の中で重要な役割を果たす上に、言葉の誤用 Malapropism を通じて複雑な笑いをもたらす。

「から騒ぎ」という喜劇を構成している主要な要素は二組の男女の恋だ。他のシェイクスピア喜劇同様、この劇にあっても男女の恋がモチーフとなっている。シェイクスピアの時代にあっては、シェイクスピアに限らず、喜劇というものは男女の恋を中心に展開するものだったのだから、当然といえる筋立てだ。

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NASAがハッブル宇宙望遠鏡打ち上げ20周年を記念して、最新の映像を公表した。上の写真(NASA提供)はその一枚。銀河系の中でも新星誕生の現場として知られる龍骨座星雲 Carina Nebulaの一部分を映し出したものだ。

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ディズニーの3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」が上映されている。なにせアリスは筆者にとっては子どもの頃からの馴染だ。そんな彼女がやってくるとあっては、見に行かないわけにはいかない。そこで本八幡の映画館まで足を運んでみた。

ミュージカル「マイフェアレディ」から「夜通し踊っていたかった」I Could Have Danced All Night(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  夜通し踊って
  踊っていたかったわ
  もっともっともっと
  思いっきり
  手足をのばして
  羽ばたきたかったわ
  そしたらどんなにすてきな
  気分になれたでしょう

ミュージカル「マイフェアレディ」My Fair Lady から「素敵だと思わない?」 Wouldn't It be Loverly?(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  どこかすてきなところに
  ちっちゃな部屋を借りて
  のんびりと暮らすなんて
  素敵だと思わない?

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先日豊穣たる熟女たちと千鳥が淵に花見をした記事を書いたが、その折に数年前に描いた水彩画を添付した。だが色使いがごちゃごちゃとしているようで、どうも気に入らない。そこで描きなおしてみたのが、この絵だ。

エドガー・ポーの詩「天に召されたひとへ」To One in Paradise(壺齋散人訳)

  愛する人 あなたはわたしが
  心から求めたひとだった
  あなたは海のオアシスだった
  そこには泉があふれ宮殿がそびえ
  花咲き 果実がたわわに実る
  それらすべてがわたしのものだった

エドガー・ポーの詩「眠れるひと」THE SLEEPER(壺齋散人訳)

  六月のある真夜中
  神秘の月を見上げれば
  その金色の縁からは
  眠たげなかすみが滲み出し
  露がしたたり落ちるように
  静かな山の頂をかすめ
  ゆるやかなリズムにのって
  深い谷間へと落ちていく
  墓にはローズマリーがうなだれ
  水辺ではユリが首を垂れ
  深い霧に包まれながら
  廃墟が静かに横たわる
  そして湖は忘却の川のように
  ひと時の眠りにまどろみ
  動く気配も見せない中
  あらゆるものが眠りにつく
  そして開け放った窓の内側では
  アイリーンが永久の眠りについている

「やまなし」は小学校の国語の教科書にも採用されているとおり、宮沢賢治の童話のなかでもわかりやすく、また美しい作品だ。賢治の大きな特徴であるオノマトペを効果的に使いながら、言葉のリズム感が豊かで、自然の描写がみずみずしく、人の感性に直接訴えかける文章だ。

「おきなぐさ」は、宮沢賢治の童話の中で最も美しい作品といってよい。語り手がおきなぐさの別名というか、イーハトーブと思われる「わたしどもの方」での「うずのしゅげ」という呼び方を紹介しつつ、おきなぐさとひばりの対話をおいかけながら、おきな草がやがて実を結び、それらが初夏の風に乗って飛び去っていくさまを描いている。

ボードレールの個人的な敵であったジャック・クレペが、1862年にフランス詩人の膨大なアンソロジーを出版することにした。この事業にどういうわけかボードレールも参加することになった。各詩人たちの詩の冒頭に、詩人に関する全般的な序文を書くよう要請されたのである。

杜甫の五言絶句「絶句二首其一」(壺齋散人注)

  遅日江山麗  遅日 江山麗はしく
  春風花草香  春風 花草香し
  泥融飛燕子  泥融けて燕子飛び
  沙暖睡鴛鴦  沙暖かくして鴛鴦睡る

杜甫の七言律詩「蜀相」(壺齋散人注)

  丞相祠堂何處尋  丞相の祠堂何れの處にか尋ねん
  錦官城外柏森森  錦官城外 柏森森
  映階碧草自春色  階に映ずる碧草 自から春色
  隔葉黃鸝空好音  葉を隔つる黃鸝 空しく好音
  三顧頻煩天下計  三顧頻煩たり天下の計
  兩朝開濟老臣心  兩朝開濟たり老臣の心
  出師未捷身先死  出師未だ捷(か)たずして身先ず死し
  長使英雄淚滿襟  長へに英雄をして淚襟に滿たしむ

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今年は日本による韓国併合100年にあたる年である。その節目にあたって、この歴史的出来事と、それが日韓両国にもたらしたインパクトについて検証する目的で、NHKが特集番組を組んだ。「韓国併合への道 伊藤博文とアンジュングン」と題するその番組をみて、いささか考えさせられることがあった。

「から騒ぎ」という劇を彩っているものの中で最も印象的なのは、ベネディックとベアトリスの二人が繰り広げる舌戦 Tongue War だ。第一幕の第一場つまり劇が始まるとともに、この二人は舌戦を始め、互いに言葉で相手を圧倒しようとする。そしてその舌戦は二人が婚約を誓い合い、結婚へ向かって陽気な結幕を迎えるまで延々と続く。

空騒ぎ Much Ado about Nothing は、シェイクスピアの中期を代表するロマンスコメディだ。二組のカップルが試練を乗り越えて結ばれるという内容の恋物語だが、ただの恋物語ではない。カップルのひとつは、男嫌いと女嫌いが舌戦を交わしながら互いに魅かれあい、もう一組は悪党の陰謀によって一旦は仲を裂かれながら、最後には誤解が解けてめでたく結ばれる。同じ恋物語でも、ちょっぴりスパイスがきいた物語なのだ。

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先日フラミンゴのゲイ・カップルについて紹介したことがあるが、フラミンゴも鳥の仲間の一員として、男女の夫婦仲が非常によい。同性愛は例外的なケースといってよい。

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」から「エーデルワイス」Edelweiss(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  エーデルワイス 可憐な花
  毎朝きみを見るたびに
  花のように 愛らしいきみの
  笑顔がまぶしい
  そのようにいつまでも咲いておいで
  きよらかに 永遠に
  エーデルワイス 可憐な花
  その花のように

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」から「山を越えて」Climb Every Mountain(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  のぼり続けなさい 高きも低きも
  歩き続けなさい 進むべき道を
  山を越えて 流れをわたり
  虹をおって 夢をつかむの

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中国青海省南部で4月14日の朝発生した大地震は、またもや甚大な被害を引き起こした。これまで確認されている限りで、死者は1700人以上、負傷者は20000人近くにのぼる。また家屋の倒壊など物的被害は21万件に達するという。

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筆者が船橋の北の郊外塚田に引っ越してきたのは、今から10年ちょっと前のこと。当時はまだあちこちに畑がいっぱい見られた。このあたりは東京の近郊農業地帯として、さまざまな野菜を栽培しているものが多く、なかでも白菜やキャベツの畑が目立った。

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アイスランド南部の氷河地帯にある火山エイヤフィアトラヨークトル Eyjafjallajokul が3月に続いて4月14日にも大規模な噴火を起こし(上の写真:AP提供)、吹き上げられた火山灰が偏西風に乗って流れ、イギリスからドイツ、ポーランドそして北欧一帯の空を覆い尽くした。

エドガー・ポーの詩「ヘレンへ」To Helen(壺齋散人訳)

  ヘレン あなたの美しさは
  古代のニケアの帆船のようだ
  馥郁たる海をわたって
  旅に倦んだ放浪者を
  祖国の浜に運ぶという

エドガー・ポーの詩「~へ」TO ----(壺齋散人訳)

  わたしのこの世での運命が
  惨めなものであったとしても
  はぐくんできた愛が一瞬のうちに
  忘れられたとしてもかまわない
  だれよりも見捨てられた存在だとしても
  わたしは一向に嘆きはしない
  わたしがたまらないのは憐れまれること
  わたしはこの世にとっての異邦人なのだ

宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」は、自然のなかで繰り広げられる動物の営みと、それを見つめる人間との関わり方について描いたものだ。

<をかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
  かねた一郎さま 九月十九日
  あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。
  あした、めんどなさいばんしますから、おいで
  んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                  山ねこ 拝

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先日、井上ひさしの死に関連してNHKのテレビ番組「ひょっこりひょうたん島」のことを書いたついでに、やはりNHKが放送していた人形劇「チロリン村とくるみの木」を思い出した。

ボードレールのエドガー・ポーとの出会いはまさに運命的なものだったといえる。それ以降ボードレールは魅せられたようにポーの世界を追い求め、それらをフランス語に翻訳したばかりか、自身の作品にもポーの精神をふんだんに盛り込んだ。ボードレールはある意味でポーとは文学上の兄弟とも言える。無論ボードレールのほうが弟分だ。

杜甫の七言律詩「堂成る」(壺齋散人注)

  背郭堂成蔭白茅  背郭堂成り白茅に蔭はる
  綠江路熟俯青郊  綠江路熟して青郊に俯す
  榿林礙日吟風葉  榿林日を礙(さへぎ)る風に吟ずるの葉
  籠竹和煙滴露梢  籠竹煙に和す露を滴すの梢
  暫止飛烏將數子  暫く止る飛烏 滴數子を滴(ひき)ひ
  頻來語燕定新巢  頻りに來る語燕 新巢を定む
  旁人錯比揚雄宅  旁人錯って比す 揚雄が宅
  懶惰無心作解嘲  懶惰にして解嘲を作るに心無し

杜甫の七言律詩「居を卜す」(壺齋散人注)

  浣花溪水水西頭  浣花溪水 水の西頭
  主人為卜林塘幽  主人為に卜す林塘の幽なるを
  已知出郭少塵事  已に知る郭を出でて塵事少きを
  更有澄江銷客愁  更に澄江の客愁を銷ざす有り
  無數蜻蜓齊上下  無數の蜻蜓 齊しく上下し
  一雙鸂鶒對沈浮  一雙の鸂鶒 對して沈浮す
  東行萬裡堪乘興  東行萬裡 興に乘ずるに堪えたり
  須向山陰上小舟  須らく山陰に向かって小舟に上るべし

「ヴェニスの商人」の最後の場面はラヴ・コメディに相応しい洒落た趣向に満ちている。ポーシャはバサーニオとの愛の証に指輪を与え、それを誰にも渡さないと誓わせたのだったが、バサーニオは結果的には約束を破り、それを弁護士に扮したポーシャにやってしまう。そこのところをポーシャが追求してバサーニオを攻め立てるのだ。

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ユニークな作風と活発な活動振りで知られた作家井上ひさしが死んだ、享年75。

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ボディアートといえば、人間に特有の遊びかと思っていたら、犬の世界にもあった。人間の場合には裸体の皮膚をキャンバスに見立てて、それに絵の具を塗りたくるのが相場だが、犬の場合には豊かな毛が生えているおかげで、パーフォーマンスもいっそう多彩だ。

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」から「ひとりぽっちのヤギ飼い」Lonely Goatherd(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ひとりぽっちのヤギ飼いさんが レイオド レイオド レイヒーホー
  丘の上で歌っているよ レイオド レイオド ロー
  遠く離れた町の人が レイオド レイオド レイヒーホー
  その澄んだ声を聞くよ レイオド レイオド ロー
  ホーホー レディオド リーホー ホーホー レディオド レー
  ホーホー レディオド リーホー レディオド リーホーレー

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」から「もうすぐ17歳」Sixteen Going on Seventeen(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  (ロルフ)
  きみはもうすぐ17歳
  子供じゃないんだ
  分別が大事になるとき
  曲がり角なんだ

エドガー・ポーの詩「科学へ」To Science(壺齋散人訳)

  科学よ お前は古い時代の生んだ娘
  うの目鷹の目であらゆるものを作りかえてしまう
  詩人の心がお前などにわかってたまるものか
  ハゲタカめ お前の翼は偽者なのだ

エドガー・ポーの詩「ロマンス」Romance(壺齋散人訳)

  詩の言葉 それは心楽しく歌うもの
  翼を畳んで 夢見心地で
  木々の青葉が風に揺れて
  湖の淵に沈みこむように

「注文の多い料理店」は、宮沢賢治が生前に公刊した唯一の童話集と題名を同じくしている。この童話集が全体的にそうであるように、この作品も、賢治の童話の中では比較的オーソドックスな構成をとっているが、その中に賢治らしい工夫とみずみずしい感性の発露が見られる。

宮沢賢治は、生前に出版した唯一の童話集「注文の多い料理店」に、「イーハトーブ童話」という副題を付した。それ以来、賢治のさまざまな童話は、イーハトーブの名に結びついてひとびとの心を癒し続けた。また賢治自身、生涯を「イーハトーブ」の世界に生きたといって過言ではない。

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フィリピンはルソン島北部の山中で大型のトカゲが発見された。(上の写真:AP提供)体長が約2メートルで、全身に金色の斑点がある。専門家によれば既存の分類に属さない独立した種類のオオトカゲだ。

ボードレールの文業が美術批評から始まったというのは興味深いことだ。彼は大学の法学部に在籍しながら法学の勉強はしようとせず、漠然と物書きになりたいと思って文学作品を読んでいたようだが、そのうち美術のほうにも関心を示すようになった。エミール・ドロアという今日では無名の画家と知り合い、絵の手ほどきを受けたことなどがきっかけになったようだ。

世界の地下鉄

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日本地下鉄協会編集の「世界の地下鉄第三版」が出版された。現在世界中の都市で運行しているすべての地下鉄について、基本的な情報を網羅したものだ。筆者も地下鉄に関わりの深い仕事をしているので、興味深く読んだ。

杜甫の五言古詩「劍門」(壺齋散人注)

  惟天有設險  惟れ天の險を設くる有り
  劍門天下壯  劍門は天下の壯
  連山抱西南  連山西南を抱へ
  石角皆北向  石角皆北に向かふ
  兩崖崇墉倚  兩崖崇墉倚り
  刻畫城郭狀  刻畫城郭の狀あり
  一夫怒臨關  一夫怒って關に臨めば
  百萬未可傍  百萬も未だ傍ふ可からず

杜甫の五言古詩「龍門閣」(壺齋散人注)

  清江下龍門  清江龍門より下る
  絕壁無尺土  絕壁尺土無し
  長風駕高浪  長風高浪に駕し
  浩浩自太古  浩浩たること太古よりす
  危途中縈盤  危途中ごろ縈盤す
  仰望垂線縷  仰ぎ望めば線縷垂る
  滑石欹誰鑿  滑石の欹(かたむ)けるは誰か鑿てる
  浮梁裊相拄  浮梁裊として相拄(さそ)ふ

先日、再生医療の最近の状況を紹介した記事の中で、豚に人間の臓器を作らせる話に触れた。筆者などは非常に驚いたものだが、それはまだ序の口だったようだ。動物実験の分野では、サバにマグロを産ませようとする壮大な試みが現実味を帯びているというのだ。

ヴェニスの法廷を舞台に展開される人肉裁判は、当時の観客にとってもショッキングな内容だったろう。人肉を抵当にとるという話は、余りにも人倫から逸脱しているがゆえに、今日の読者にも荒唐無稽なものとしか映らない。こんな荒唐無稽なプロットを持ち込むことで、シェイクスピアはいったい何を狙ったのか。誰もがそういう疑問を抱く。

恋物語としての「ヴェニスの商人」のヒロインはポーシャだ。彼女は美しいだけでなく、父親譲りの膨大な財産を持っており、その上頭もよい。その明晰な頭脳を十分に回転させ、ヴェニスの法廷でシャイロックをへこませる。観客はそんな彼女の颯爽とした姿を見て、女性としてよりも、女性のかたちをした英雄、あるいは妖精のような存在として感嘆したことだろう。

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」から「わたしが好きなものたち」My Favorite Things(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  バラのしずくに 子猫のひげ
  ブリキの薬缶に あったかい手袋
  紐で結わえた茶色の包み
  わたしが好きなものたちなの

ミュージカル「サウンド・オヴ・ミュージック」 Sound of MusicからThe hills are alive (壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  丘を歩けば
  歌声がおこる
  千年もの間
  歌われてきた歌
  耳を傾ければ
  歌声がおこる
  わたしも一緒に歌ってみたい

エドガー・ポー Edgar Allan Poe の詩「アローン」Alone(壺齋散人訳)

  子どもの頃からわたしは ひととは
  違ったようにふるまい ひととは
  違ったものを見て ひととは
  ことなる泉から汲み取った
  ひととは異なるものに悲しみを
  感じ取り ひととは異なるものに
  喜びを感じた
  わたしが愛したのは ひとりでいることだった

エドガー・ポー Edgar Allan Poe の詩「ソング」Song(壺齋散人訳)

  ぼくは花嫁姿の君をみた
  君の頬は恥じらいで赤く染まる
  君の周りには幸福が溢れ
  前途には愛が輝いてるというのに

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上の写真(AP提供)は野うさぎのファイトを写したもの。時は三月の末、場所はフランクフルトの野原。二匹の姿を見ていると、まるでカンガルーがボクシングをしているようだ。

宮沢賢治には星空を歌った詩が数多くある。銀河鉄道を描いた詩人だから、天空の世界には誰よりも関心が深かったのだろう。そのなかで「春と修羅第二集」に納められている「北いっぱいの星ぞらに」は、冒頭の句にあるように、それこそ空一杯に広がる星々が、明るい月の光の中できらめき動くさまを、感動をこめて歌い上げている。

ボードレールは文学史上の巨星として、いまや世界中から高く評価されているが、それでも女性の間では今ひとつ人気があるとはいえない。彼が描く女性像がなんとなく一人前の人間としての威厳を感じさせず、男の付属物のような弱々しさに満ちているからだろう。それにボードレール自身、女性を平然と侮蔑する言葉を随所で放ってもいる。

杜甫の五言古詩「水會渡」(壺齋散人注)

  山行有常程  山行 常程有り
  中夜尚未安  中夜尚ほ未だ安んぜず
  微月沒已久  微月沒して已に久し
  崖傾路何難  崖傾いて路何ぞ難き
  大江動我前  大江我が前に動き
  洶若溟渤寬  洶として溟渤の寬なるが若し
  蒿師暗理楫  蒿師暗に楫を理め
  歌笑輕波瀾  歌笑して波瀾を輕んず

杜甫の雑言古詩「乾元中同穀縣に寓居して歌を作る」(壺齋散人注)

  有客有客字子美  客有り客有り字は子美
  白頭亂發垂過耳  白頭亂發 垂れて耳を過ぐ
  歲拾橡栗隨狙公  歲々橡栗を拾ふて狙公に隨ふ
  天寒日暮山谷裡  天は寒く日は暮る山谷の裡
  中原無書歸不得  中原書無く歸り得ず
  手腳凍皴皮肉死  手腳凍皴皮肉死す
  嗚呼一歌兮歌已哀 嗚呼(ああ)一歌すれば歌已に哀し
  悲風為我從天來  悲風我が為に天より來る 

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昼休みを利用して新宿御苑の桜を見に行った。昨夜(三月三一日)例の熟女たちと千鳥が淵の桜をみたばかりなのだが、日が変わって天気もいいし、千鳥が淵と御苑とでは桜の雰囲気も異なるだろう。桜の花は、いつ、どこで見ても、いいものだ。それに御苑は筆者の職場から歩いて数分でいけるところにある。

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豊穣たる熟女たちと花見をした。今年は桜の開花が例年より早く、三月のうちに満開になると予想されていたので、散ってしまわないうちに是非見に行きましょうよと語らいあって、三月の末日に千鳥が淵へと繰り出した次第だ。

「ヴェニスの商人」という劇に登場するキャラクターの中で、シャイロックは特別な存在だ。序論で述べたように、この劇は基本的には陽気な男女の陽気な恋の物語であって、ユダヤ人の金貸しが出てきて担保に人肉を取るという話は、劇にスパイスを利かせるためにシェイクスピアが挿入したサブプロットと位置づけるべきなのだが、それにしてはシャイロックという人物とその行動とが余りにも強烈なために、観客はこの人物に釘付けになってしまうのだ。



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