昼休みを利用して新宿御苑の桜を見に行った。昨夜(三月三一日)例の熟女たちと千鳥が淵の桜をみたばかりなのだが、日が変わって天気もいいし、千鳥が淵と御苑とでは桜の雰囲気も異なるだろう。桜の花は、いつ、どこで見ても、いいものだ。それに御苑は筆者の職場から歩いて数分でいけるところにある。
今日(四月一日)は昨日と違ってひとりだ。園内の桜はまた一段と咲き進み、八分咲きのものもある。適当な木を選んでその下に座り込み、園内の売店で買ったちらし寿司の弁当を広げる。
空は青く晴れ渡り、風がほどほどの強さに吹いて、気持ちが良い。そんななか、独りで花を見ながら弁当を食っていると、自ずからさまざまなことが頭を過ぎる。こうして還暦を過ぎるまで生き延びて、年々に桜の花を眺めてきた。桜の花を眺めるたびに、生きていることの不思議さに感嘆してきたものだ。
こんなもの思いに耽っていると、突然筆者の目の前に小さな子が顔を差し出したかと思うや、にこっと笑った。筆者もにっこりと微笑み返した。改めて周囲をみると、周りには小さな子供連れや熟年女性たちのグループが、思い思いに弁当を広げている。とにかく子どもの姿が多い。元気に跳ね回っている子や、母親にしがみついている子など、さまざまだ。
それにしても日本人は何故こうも桜の花が好きなのだろう、ふとそんなことを思った。桜の花を情熱をこめて歌った最初の人は西行だったろう。それまで日本人にとって単に花といえば梅だったものだ。それが西行以降は花といえば桜をさすようになった。
その西行の有名な歌に「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」というのがある。この花が桜を指しているのはいうまでもない。それが如月の望月の頃に咲くという。如月の望月の頃とは西洋暦でいえば恰も今頃の時節だ。
どうして今頃の時節に桜の花の下で死にたいと、西行は思ったのか、筆者にはよく解説することは出来ぬが、あるいは桜は西行にとって、生と死とを結びつける象徴的なイメージを帯びていたのかもしれない。
坂口安吾も、満開の桜を死のイメージと結び付けている。筆者もちょっぴりそんなことを感じたことがある。
生というものはもともと死を内在させているものだ。生の終わりとしての死ばかりではない。生そのものの盛りの中に、死がすでに組み込まれている。死は生というものを成り立たしめるために不可欠の対立軸なのだといえる。
こんな取り止めのない空想に耽っているうちに、短い昼休み時間が尽きた。筆者は先ほどの小さな子に手でさよならの合図をすると、足早に立ち去った。振り返るとその子は、何事もなかったように、他の子と戯れあっていた。
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