世界は舞台 All the world's a stage:お気に召すまま

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シェイクスピア劇「お気に召すまま」の舞台アーデンの森は両義的な意味を持つ空間だ。追放されたものが一時的に身を隠す場所としては消極的な意味を持つ空間だが、森の自然の豊かさがそれを消極的なものに留まらせない。そこは他方では、宮廷生活の偽善や闘争といったものから自由な、人間性がそのままの形で花を咲かすことのできる理想の空間という積極的な意味ももっている。

アーデンという名前自体、アルカディアとエデンの合成語である。どちらも理想郷という意味の言葉だ。

最初にこの森にやってきたのは弟によって追放された老公爵と彼を慕う人々である。彼らはこの森に暮らすうちに、ここが単なる隠れ場所ではなく、自分たちにとって理想的な生活の場所でありうるとことに気づくのだ。

恐らく彼らは、最初から理想郷をめざしてここにやってきたのではなく、危険を逃れ放浪を続けるうちに偶然身を隠すに相応しい場所を見つけ出したのだろう。だが暮らしているうちに、ここには安全があり、豊かな自然があり、人々の偽らぬ交わりが成り立つことに気づいた。彼らはそこにユートピアを見出したにだ。

この森がユートピアのひとつの形を示すものだという自覚を、老公爵は次のような言葉で語っている。

  老公爵:どうだ 放浪の生活を共にする兄弟たちよ
   ここでの暮らしも慣れてくると
   飾り立てられた宮廷の生活よりすばらしいとは思わないか?
   この森は嫉妬が渦巻く宮廷より安全だとは思わないか
   ・・・
   俗塵と離れてここで暮らしていると
   木々に声を聞き 流れに言葉を読み
   石には祈りがこもり あらゆるものがすばらしくうつる
   わしはこの暮らしぶりを変えたくない(第二幕第一場)
  DUKE SENIOR:Now, my co-mates and brothers in exile,
   Hath not old custom made this life more sweet
   Than that of painted pomp? Are not these woods
   More free from peril than the envious court?
   ・・・
   And this our life exempt from public haunt
   Finds tongues in trees, books in the running brooks,
   Sermons in stones and good in every thing.
   I would not change it.

老公爵がたたえているのは、この森の自然の豊かさであり、暮らすものにとって安全で心地よい場所だという点である。その点においてはこの森は危険で偽善に満ちた宮廷社会の対極にある。理想の土地ユートピアだといってもよい。だから老公爵はこの土地を離れたくないともいっている。

だが手放しでこの土地をたたえ、そこが終の棲家に本当に相応しいのかと問えば、そうでもないらしい。仲間に向かって「放浪の生活を共にする兄弟たちよ」と呼びかけているように、老公爵はあくまでもこの土地を放浪の旅の途中で立ち寄った仮の住処だとする意識を捨てきれないでいるようにも伺われる。実際彼らは劇の最後で、追放者たちと和解して、再びもとの世界に返っていくことが暗示されているのである。

老公爵の仲間にはさまざまな人が出てくるが、一番印象的なのはジェイクスである。彼の性格は複雑だ。自分たちの境遇を斜めからみることにおいては道化のタッチストーンと似ているが、ただの道化ではない。道化は世界の見方を相対化するのが役割だが、彼は相対化するというより、無化する、

そんなジェイクスにとっては、アーデンの森は無条件に理想の土地としては映らない。かといって昔の宮廷生活がよかったというのでもない。どこであろうと、自分が生きている場所に満足していることができない人物なのだ。だから彼には、いまの森の中での生活も不幸の種が満ちていると感じずにはいられないのだ。

  老公爵:不幸なのは我々だけではない
   この世界という広大な舞台では
   我々の場合以上に
   悲惨な劇が演じられているものだ
  ジェイクス:世界とはひとつの舞台のようなもの
   そこでは男たちも女たちも役者に過ぎない
   舞台を出たり入ったりしながら
   それぞれに割り当てられた役柄を演じているだけ(第二幕第七場)
  DUKE SENIOR:Thou seest we are not all alone unhappy:
   This wide and universal theatre
   Presents more woeful pageants than the scene
   Wherein we play in.
  JAQUES:All the world's a stage,
   And all the men and women merely players:
   They have their exits and their entrances;
   And one man in his time plays many parts,

ジェイクスが発する「世界は舞台」という言葉は、シェイクスピアの名文句の中でもとりわけ有名になったものだ。

老公爵がアーデンの森を理想の境地として満足しているのに対して、ジェイクスは意義を唱えている。人間はどこで生きようともそれなりの生き方しかできない。宮廷にあれば宮廷に相応しい生き方をするのだし、森にあれば森に相応しい生き方をするだけだ。どの場所もその場所に相応しい生き方をもっている。それを人間の立場から読めば、環境に合わせて生きるということになる。

つまり世界とは舞台のようなもので、そこに生きる人間は舞台で役を演じる役者に過ぎぬ。役者は入れ替わり立ち代り舞台に登場し、あらかじめ用意されている役柄を演ずるだけなのだ、というわけである。

こんなわけでジェイクスは近代人に特有のメランコリーを先取りしたパーソナリティをもっていると言い換えることもできる。彼はいつも憂鬱なのだ。そんな彼をロザリンドはからかう。

  ジェイクス:悲しくてもそれを口に現さないのがいいのです
  ロザリンド:それじゃポストと同じね
  ジェイクス:わたしの憂鬱は学者のものとは違う あれは競争心に過ぎぬ
   音楽家のものとも違う あれは荒唐無稽だ
   宮廷人のものとも違う あれは見栄から生まれるものだ
   兵士のものとも違う あれは名誉欲の裏返しだ
   法律家のものとも違う あれは権謀術数から出たものだ
   婦人のものとも違う わたしはエレガントにはなれないから
   恋人のものとも違う あれは以上すべてがゴタマゼになったものだ
   わたしの憂鬱はわたしに固有のものなのです(第四幕第一場)
  JAQUES:Why, 'tis good to be sad and say nothing.
  ROSALIND:Why then, 'tis good to be a post.
  JAQUES:I have neither the scholar's melancholy, which is
   emulation, nor the musician's, which is fantastical,
   nor the courtier's, which is proud, nor the
   soldier's, which is ambitious, nor the lawyer's,
   which is politic, nor the lady's, which is nice, nor
   the lover's, which is all these: but it is a
   melancholy of mine own, compounded of many simples,
   extracted from many objects, and indeed the sundry's
   contemplation of my travels, in which my often
   rumination wraps me m a most humorous sadness.

シェイクスピアがなぜジェイクスの憂鬱をこんなに強調するのか、その真意はよくわからないところがある。この劇はジェイクスがいなくとも大筋がかわることはない、彼は必ずしもキーパーソンとはいえないのだ。

ひとつ言えることがあるとすれば、ジェイクスは世界に対する我々人間の見方に異議を唱えているのだということだ。人間は世界を分節化し、そこに対立を持ち込む。善に対して悪、真に対して偽、愛に対して憎しみといった具合に。だがジェイクスはそれらすべての対立を解消して、フラットにしてしまう。

いったん世界をフラットなものにしてしまえば、人間の愛憎といった感情にはたいした根拠がないということになる。根拠があるとすれば、それは環境と個体との触れ合いから生ずる摩擦に過ぎないものを、神の意志に基づく必然的な作用であると思い込む、人間の愚かさから来るというのだ。


関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト





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このページは、が2010年5月25日 20:47に書いたブログ記事です。

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