NHKのシリーズ番組「日本と朝鮮半島」の第二回目が放送された。テーマは「三・一運動と親日派」、日本の朝鮮統治が直面した第一次世界大戦後の民族自立運動の高まりを背景に、武断統治から文化政治への転換を図った朝鮮総督府の動きと、朝鮮側の対日協力者の運命を描いたものだ。
三・一運動は三・一独立運動とも言うように、朝鮮の独立を目指したものだ。1919年3月1日、33人の民族代表と呼ばれる人々が独立宣言文を読み上げたことを契機にして、朝鮮全土に広がった大規模な民族運動である。韓国ではいまでも、この運動を民族独立の象徴として、国をあげて記念している。
これに対して日本側は、当初武力を以て鎮圧する方針をとり、4000人の陸軍部隊を内地から派遣・投入したりしたが、運動は収まるどころかいっそう拡大する様相を呈した。そのうち、4月8日にはチェアムニというところで、日本軍による住民の虐殺事件が発生して、これがイギリスなど外国にも知られるところになった。
イギリスなどには、日本のやり方は時代遅れのように映ったようだ。イギリスはインドを始め世界中で植民地を経営していたが、伝統的に間接支配の方法をとり、イギリス人が直接現地人と向き合うことはなかった。それに世界の流れは民族自決のほうへと進み、それを背景に、植民地にも一定の自治を認める方向へと進んでいた。
ことここにいたって、朝鮮総督に赴任したばかりの斎藤実は武断統治の限界を悟り、文化政治への転換を図ったのである。
文化政治とは、朝鮮側に一定の自治を許容した上で、産業の振興を図り、近代化を目指そうとする一種の近代化政策であった。そしてその政策の実施にあたって、朝鮮側の人材を対日協力者として迎え、彼らを活用しながら朝鮮人の教育をはかった。
日本側から見た対日協力者は、朝鮮側からは親日派とみなされた。彼ら親日派は日本の敗戦に伴う朝鮮開放以後、同胞たちから半民族行為者と断罪され、刑に服したり財産を没収されたりした。それはいまだに親日派問題として、わだかまり続けている。
番組はこれら親日派のうち、チェ・ナムソン(崔南善)とイ・グァンス(李光朱)にスポットライトをあてていた。
チェ・ナムソンは三・一独立宣言文を起草した中心人物である。その男が何故対日協力者に転身したか、詳細な事情は明らかでない。だが彼は言論や出版の分野で日本統治に協力し、後には満州にあって日本のために働いた。
イ・グァンスは三・一宣言当時には上海にいて、朝鮮独立のための臨時政府を主宰していた。いわば独立の闘志であったわけだが、この男も日本に協力するようになる。自分たちの独立運動がパリ講和会議で黙殺されたほか、一向独立の展望が開けないことに絶望して、むしろ朝鮮の近代化という当面する実益を選んだともいわれている。
斎藤実による文化政治は、1927年に宇垣一成が朝鮮総督になったあとも引き継がれるかに見えたが、戦争へと動いていく歴史の巨大な歯車を前に、次第に行き詰るようになっていった。朝鮮は日本の大陸進出のための、前進基地に位置づけられ、次第に戦時体制下に組み込まれていくのである。
ところでチェ・ナムソンやイ・グァンスらの対日協力者は、戦後制定された半民族行為処罰法によって、多くが収監された。イ・グァンスは更に北朝鮮によって連行され、その後の消息を絶ったものらしい。
対日協力者をどう見るかは、日本と韓国とでは大きな相違がある。韓国ではいまだにこの問題が収束せず、忘れた頃になって親日派を処罰する話が持ち上がる。それを見た日本人には、いたずらに反日感情を煽るものだと、不快感を表すものもいる。
問題が微妙なだけに、日韓双方とも、理性的な立場に立って、歴史の検証をしていくべきだ、NHKの論説委員はそのような言葉で番組を締めくくっていた。
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