近松門左衛門の生涯と作品

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作家としての近松門左衛門の生涯は、大きくいって三つの時期に分けられる。古浄瑠璃作者として出発した時期、主に歌舞伎狂言を書いた時期、そして曽根崎心中以降、世話浄瑠璃を始め浄瑠璃に新風を吹き込み、新浄瑠璃の世界を完成させた成熟期から晩年までの時期である。

近松門左衛門が浄瑠璃の世界に身を投じたのは延宝3年(1675)23歳のときだった。この年、宇治嘉太夫が京都四條川原に旗揚げしたのだったが、近松はこの嘉太夫のもとで、浄瑠璃作者としての修行を始めたのである。

嘉太夫は延宝5年に加賀掾の受領を許されて京都浄瑠璃界の第一人者となり、古浄瑠璃の最後の巨人として活躍するようになった。近松は加賀掾のもとでさまざまな浄瑠璃台本を書いたとされるが、作者の地位が非常に低かったこともあって、今日正確に近松の作品とみなされるものはあまり多くは伝わっていない。その殆どは、説経や曲舞と共通する伝統的な「かたり」の作品に題材をとった歴史物だったと推測される。

近松の初期の浄瑠璃を代表するものは天和3年(1683)に書かれた「世継曽我」である。これもやはり伝統的な「かたり」に題材をとった作品だったが、従来の浄瑠璃には見られないものをもっていた。それまでの浄瑠璃はどちらかというと、人間の苦悩を描いた暗いタッチのものが多かったのに対し、近松はそこに明るい笑いを持ち込んだ。これを当時の人々は「浄瑠璃の歌舞伎化」ととらえて歓迎したのである。

歌舞伎化とは、演劇的な要素をさしていうのであろう。浄瑠璃はかたりであるから、もともと演劇的な要素には乏しかったわけであるが、そこに演劇的な要素が加わることで、浄瑠璃の性格が変わっていくようになる。これを芸能史では、古浄瑠璃から新浄瑠璃への転換といっている。

古浄瑠璃の中でもいわゆる「金平浄瑠璃」といわれるものは、この演劇的な要素を意識的に取り入れていたといえるが、演劇作品としては本格的にはなっていなかった。近松はその演劇化をいっそう推し進めることで、新しい浄瑠璃作りを目指したのだといえよう。

といっても「世継曽我」はまだまだ古浄瑠璃の分類に入るのが相応しいような作品だった。本格的に新浄瑠璃の名に相応しいものを近松が書くのは、貞享元年(1684)の「出世景清」である。

「出世景清」を、近松は竹本義太夫のために書いた。加賀掾が古浄瑠璃の最後の巨人だったとすれば、義太夫は新浄瑠璃の旗手となった人物である。近松は以後、この義太夫とコンビを組むことで、浄瑠璃の新しい時代を切り開いていく。

だがその前に、近松は歌舞伎の世界に寄り道をした。近松の歌舞伎とのかかわりはすでに20歳代に始まっていたが、それが本格化するのは30歳代半ば、元禄時代に入ってからである。そのころの歌舞伎は新興の芸能として人々の大きな支持を得るようになってきていた。いわゆる元禄歌舞伎の時代である。その時代の旗手であった坂田藤十郎のために、近松は多くの作品を書いた。

近松の歌舞伎狂言として有名なものには「傾城仏の原」や「傾城壬生大念仏」などが上げられる。「傾城仏の原」は大名のお家騒動の顛末を題材にしたもので、おちぶれた主人公が放浪の旅先で恋のアヴァンチュールを広げるという趣向のものであった。これに限らず、近松のほかの歌舞伎狂言のほか普通の作者による作品にあっても、元禄歌舞伎にはお家騒動をテーマにしたものが多かった。

元禄時代も終わり近くになると、近松の歌舞伎との関わりは弱くなり、再び浄瑠璃に傾くようになる。そして元禄16年、浄瑠璃史上の記念碑的な作品「曽根崎心中」を書く。これは世話物浄瑠璃の走りとされる作品で、以後浄瑠璃は新浄瑠璃の全盛時代を迎えることになる。

近松は、「曽根崎心中」を始めとして24本の世話浄瑠璃を書いた。いづれも同時代におこった市井の事件にヒントを得て書いたものである。その点で、歴史上の人物や出来事を題材にした古浄瑠璃とは根本的に異なった新しさがあった。

近松は同時代の出来事を題材に、同時代に生きている人間の苦悩や喜びを描こうとしたのだろう。そこが観客の心にストレートに訴えた。一時歌舞伎に押されがちだった浄瑠璃は、近松の作品によって、芸能の王道を回復したのである。

近松は成熟期においても世話浄瑠璃ばかりを書いていたわけではない。彼は「曽根崎心中」以後70本ばかりを書いているが、そのうち3分の2は歴史物であった。その中で最高の傑作といえるものは「国姓爺合戦」である。

だがやはり近松の最高傑作と称すべきものは世話物の部類に多い。「曽根崎心中」の後、「冥土の飛脚」、「心中天網島」、「女殺油地獄」といった作品は、いづれも同時代に起きた事件に題材をとって、その時代に生きた人々の苦悩や息遣いをありありと表現した世話浄瑠璃の作品群なのである。





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