さそりの火:銀河鉄道の夜

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「銀河鉄道の夜」に出てくるさそりの火の挿話は、動物が星に変身するという点で「よだかの星」とよく似ている。違う点は、よだかが自分の意思で星になるのに対し、さそりは見えない意思によって星になることだ。

<「むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附(みつ)かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁(に)げて遁げたけどとうとういたちに押(おさ)えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺(おぼ)れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈(いの)りしたというの、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。ほんとうにあの火それだわ。」
「そうだ。見たまえ。そこらの三角標はちょうどさそりの形にならんでいるよ。」
 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕(うで)のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうにそのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。>

よだかの場合には、自分の醜さに絶望した鳥が、この世に生きていることに耐えられず、天上の星の熱に焼かれることを願ううちに、自分自身が星になった。だがさそりは最後まで自分の命に執着した挙句、無駄死にというべき死に方をした。

さそりは、この世は食べるものと食べられるものとの依存関係でなりたっているのだから、自分が他の虫を食べているように、自分自身がいたちに食べられることは何の不思議もない、むしろその方が生命の連鎖にとって自然なことであるのに、自分は命を惜しむばかりに、かえって無駄な死に方をする、そう反省し、その瞬間に星になるのだ。

さそりが何故星になったのか、賢治は説明していない。だからいろいろな解釈を許す。筆者などは、星は存在の永遠性を視覚的に表現している賢治なりのシンボルではないかと考えたい。

賢治は、存在者はこの世で死んだからといって、全く消えていなくなってしまうわけではなく、どこかに存在し続けるという強い確信を持っていた。それは残されたものの目には見えないかもしれないが、三次元を超えた高い次元の中では、形を変えて存在し続ける。

またそれは異次元で存在しつつ、時には三次元に生きているひとと交流することもある。星はそんな異次元と三次元との境にあって、あの世への入り口を指し示す標識のような役割をも果たしている、賢治はそんなふうに考えていたのではないか。

この挿話は途中から銀河鉄道に乗り込んできた姉弟によって語られる。二人は船が難破して波におぼれ、死んだばかりなのだ。この世では死んだ彼らが、別の世界で生きるために、銀河鉄道の旅をする。その窓から見えたさそりの火は、だから、これから彼らの赴くべき世界の扉を暗示しているのだ。


関連サイト: 宮沢賢治:作品の魅力を読み解く





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