生ける屍といえば、同名のトルストイの小説を思い出すが、これから話題に取り上げるのは日本での話、類まれな長寿を享受したとして周囲からうらやまれていた人物、当然生きているものと思われていた人物が、じつはとっくの昔に死んでいたという話だ。死んだ人は、役所の書類の中では生きているとされ、年金や長寿祝いまで受けていたというから、まさに生ける屍という言葉がピッタリだ。
話の発端は東京で男性の最高齢とされる111歳の人が、実は30年前に死んでいたという話だった。足立区に住んでいたとされるこの男性は、長い間年金の給付を受け続けていたほか、区から長寿の祝金まで受け取っていた。ところが孫の話によると、この人は30年前に即身仏になりたいといって自分の部屋に閉じこもったまま、消息をたったというのだ。この男性が最後に目撃されたという部屋をのぞいてみると、この人と思われるミイラがみつかった。
杉並区では、113歳の女性が消息を絶っていたことがわかった。この女性は杉並区在住の最高齢者として表彰までされていたが、住民登録をした住所には住んでいなかった。そこに住んでいる長女に聞いても、長い間会ってないと答えるばかりで、どこでどうしているのか、皆目わからないという。
こんな不思議な話が世間の関心を引いたこともあって、全国で同じような事例がないかどうか調べたところ、生死や所在の確認できない100歳以上の高齢者の数は30人以上になることがわかった。
何故こんなことが起こるのか、筆者には頭を傾げたくなる点が多い。ひとつの理由として、生前受けていた年金などの給付を目当てに、家族が死亡の届出をしなかったということも考えられる。
身寄りのない老人の場合には、行旅死亡人(俗称野垂死)として処理され、戸籍や住民票が、真相がわからないままにそのまま放置されるようなことも考えられる。これは砂漠といわれる今日の都市生活の殺伐たるあり方に起因した象徴的な出来事といえる。
また身元が明らかにならないままに死んでいく人が絶えないことの背景には、個人のプライバシーには極力立ち入らないようにしようとする風潮が関与していることも見逃せない。プライバシーの過度な、というより曲がった運用のあり方が、このような風潮を助長しているともいえる。
プライバシーは無論大事だが、それが孤独な老人を放置する言訳にされるようでは、まともな社会のあり方とはいえまい。
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