スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」が日本で公開されたのは1994年、ホロコーストを生き延びたユダヤ人と、彼らを救ったドイツ人という設定の、非常に地味な作品ながら、興業的には成功した。その理由の大きな部分は、映画の中に込められた「人間性とは何か」という強烈な問いかけが観客のハートを捕らえたことにあろう。
以来この映画は、ヒューマニズムのメッセージとして受け取られてきたが、事実はそんなに単純なものではなかった。その単純ならざる部分の半分闇に沈んでいたところを、NHKの番組「ホロコーストを生きのびて シンドラーとユダヤ人」が検証していた。
シンドラーは人間としての普遍的な心情に基づいてユダヤ人たちの命を救った、こうした解釈が従来の支配的な受け止め方だった。しかしそもそもシンドラーがクラカウの街にやってきたのは、金儲けのためであったし、彼自身ナチス党員として、ユダヤ人に対する優越心を抱いていたに違いなかったはずだ。
そんなシンドラーがユダヤ人とかかわりを持つようになったのは、ユダヤ人たちから、実業資金を提供する見返りにユダヤ人を雇用するという条件を求められたことがきっかけだった。
シンドラーはユダヤ人から金の提供をうけて実業を軌道に乗せることができる、ユダヤ人たちは金と引き換えにシンドラーの工場で働き、その結果ナチスの迫害を逃れやすい条件を獲得できる、両者の間には、こんな互恵的な関係があったのだ。
しかしこの互恵的な関係はユダヤ人に圧倒的に有利に働いた。というのは、ユダヤ人はそこから自分の命の安全を引き出しえたのだから、その恩恵は数字に表せないほど絶対的なものでありえたのだ。
当時のユダヤ人の絶望的な状況は、アーモン・ゲートが率いる強制収用所によって象徴されていた。普通のユダヤ人はこの収容所に入れられて、殺されるほか選択の道はなかったのに対して、シンドラーに雇われていたユダヤ人には、生き延びる可能性が残されていたのだ。
アーモン・ゲート、シンドラー、ユダヤ人の間にも、互恵のトライアングルと言うべきものが成立した。シンドラーの工場が有益だとみなされる限りにおいて、シンドラーは金儲けを続けることが出来、ユダヤ人たちは殺されずにいることが出来、ゲートはユダヤ人を収容するという名義のために、役払いにならないで済んだ。
だがそんなシンドラーも、工場を移転するに際して始めて、人間らしい感情を抱くに到る。彼は新しい工場に連れて行くユダヤ人1200人を選ぶにあたって、精一杯のヒューマニズムを発揮したのだ。その結果シンドラーのリストに載せられたユダヤ人は、ホロコーストの最後の嵐を生き延びた。
番組は、シンドラーのリストに載せられて生き残ったユダヤ人数名と、ゲートの娘との魂の交流をも描いていた。ゲートの妻は、ゲートが処刑されたあと心を病んで自殺した。その娘は、母親の死の意味を考え続けながら、ゲートの娘であることにこだわりを抱いてきたのだった。
ゲートの娘として生まれてきたのは、自分の意思に基づく行為ではない、だが父親の犯した罪を娘として償うのは、自分の意思に基づいた選択だ、それ故自分は父親の犯した誤りについて、生涯こだわり続けざるを得ないのだ、そう叫ぶ娘の言葉が、何とも印象的に響いたものだ。
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