先日このブログで、メドヴェージェフの人権担当首席補佐官エラ・パンフィーロヴァが辞任した事情について言及した。その際、最近のロシアにおける人権弾圧の進行と、メドヴェージェフの政治力影響力の強さとが反比例しているのではとの仮説を立てたが、どうもそんな簡単なものではないようだ。
たしかにメドヴェージェフは一時期、人権の擁護と民主主義の強化に強い関心をいだいていた、だが、最近はその信念を放棄するかのごとき動きがみられる。ぞれも、強要されてではなく、自分から進んで政治的野蛮に手を染めているようなのだ。
メドヴェージェフの最近の政治姿勢を象徴する出来事は、警察権力の強化だ。メドヴェージェフは地域警察および国家警察の両方に強大な権限を付与して、言論・集会に介入したり市民を拘留したりする法的な条件を強化してやった。警察はこの権限を100パーセント以上行使するだろうと憶測されている。
それにしてもなぜいま、警察権力を強化しなければならないのか。こんな疑問が西欧諸国のジャーナリストたちの間から上がっている。
ひとつの理由として事情通が上げているのは、コーカサスを根城に暗躍する分離主義運動やイスラム原理主義に対する抑圧の必要性だ。ソチで開催予定の冬季オリンピックを目の前にして、こうした反政府勢力がテロを公然と予告する状況をかかえ、警察権力を強化しようとするのは、ある意味で当然だろうというのである。
だが、ロシアの警察は世界中でもっとも腐敗していると、誰もが一致して認めている。ロシアの警察は賄賂に弱く、職務に対する忠誠心に欠け、市民の生命と安全を守ろうとする意思は、微塵だに持っていない、こうした見方が支配的なのだ。
そんな腐敗した権力に本当に必要なのは規律と責任感だろう。それをそっちのけにしておいて、権力だけ与えればどういうことになるか、いわずもがなだと、高名な評論家ニコライ・ズロービン氏はいう。
しかしメドヴェージェフには、警察の規律を立て直す余裕はないらしい。一方では治安の回復に対する市民の強い要求があり、他方にはなかなか安定しない自分の政治的基盤を強化したい欲求がある。メドヴェージェフはこうした要求ないし欲求に突き動かされて、とりあえず警察力の強化にまい進し、その結果現代世界に冠たる警察国家を作り上げようとしているのではないか。どうもそう思えるのだ。
なお上の写真(AFP提供)は集会参加者を弾圧するモスクワ警察。
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