草野心平の詩集「母岩」に収められた詩の多くは暗いタッチのものだと、先に書いた。その中で巻末の「春」という詩は、題名どおり生命の豊かさを歌った明るい詩だ。
春(草野心平詩集「母岩」から)
天下は実に春で。
雲はのぼせてぼうつとしてるし。
利根川べりのアカシヤの林や桃畑の中をあるき。
おつけのおかずになづなをつみ土筆をつみ。
なんとも美しいバラの新芽をつみ。
樹木や草からは新しい精神が。
それらがやはらかにぬくまつて燃え。
六羽小鳥たちはまぶしくうるむ空をかすめて。
流れてゆくその方向遥かに。
雪の浅間の噴煙が枝々の十文字交叉をとほして......。
虫けらたちも天に駆けあがりたいこの天気に。
ああ。実際。
土筆の頭の繁殖作用や。
せきこんで水を吸ひ上げる樹木の内部の活動や風のそよぎや。
よろこびのものうい音楽はみち、
なづなをつんでるおれとおまへよ。
尾長猿のように木をとびまはり夜叉になり。この豊満をなき
たくなり......。
春爛漫といった青春の豊かさ、明るさが伝わってくる。ここには詩人ともうひとりの人間が出てくるが、それが男女だと考える必要はない。草野自身これを恋愛詩だとは考えていなかったように。
豊かな自然のなかで命のほとばしりを感じるには、ひとりぽっちでいるよりは、人間同士が手を携えているほうがよい。だからナズナを摘むのも、おれひとりではなく、おまえと一緒のほうが相応しいのだ。
関連サイト: 草野心平:詩の鑑賞
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