巨大地震のダメージからまだ回復していないハイチでコレラが蔓延し、これまでに12,000人が死亡、さらに20,000人近い患者が生死の境をさまよっている。こうした事態の中で、ハイチの人びとは、国連ハイチ安定化ミッションのネパール部隊がコレラ菌を持ち込んだとして、ネパール部隊を直接攻撃したほか、ミッション全体に対しても敵対的な態度をとり、首都ポルト・プランス始め各地で暴動を起こす騒ぎに発展した。
こんな騒ぎになったのは、直接的には、今回のコレラ菌が南アジアのタイプに似ていると、アメリカの感染症対策局が発表したせいだった。だが国連当局がネパール部隊の全員を対象に検査を行った結果、ネパール人が原因であるとの憶測は否定された。
それにしても、善意からハイチのために働いていたネパール人が、コレラの温床のように扱われ、あまつさえ攻撃までされたのでは、たまったものではなかっただろう。いまもハイチ人の迷信は消えず、ネパール人に対してあからさまな敵意を示すものが多いそうだ。困ったものである。
こうした事態の背景には、もっと大きな問題が潜んでいるらしい。そもそも今回問題となった国連安定化ミッション(現地ではフランス語風に、MINUSTAHという)は、昨日今日ハイチに来たわけではない。
MINUSTAHは、2004年、度重なる政争から不安定化したハイチの政治的安定を図るために導入されたいきさつがある。その発足時の目的からして、大きな政治的な枠組みの安定化を目的とし、ハイチ人の日常生活とは直接のかかわりを持たないできた。
したがって、先般の巨大地震の際にも、MINUSTAHは民衆のために目立った活動をほとんどせず、今回のコレラ騒ぎの際にも、民衆を救助するなどの活動はほとんどしなかった。
ハイチの民衆の視点からすれば、現地の人びとが途端の苦しみにあえいでいるときに、外国から来たこの連中は、一体何をしているのかと、あらためて批判の対象になったらしいのである。そしてその批判が、コレラの病原菌に関する憶測を通じて、ネパール人への直接的な敵対へと発展し、さらにはミッション全体に対する嫌悪感にまで発展した。
救援を受ける側と救援する側との間に生じた不幸なミスマッチということのようだ。
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