大暦3年(768)正月にキ州を去った杜甫の一家は再び船で長江を下り、江陵で数ヶ月滞在した後、その年の暮に洞庭湖北岸の岳州に到った。岳州にある岳陽樓は有名な楼で、古来さまざまな詩人によって歌われてきた。杜甫もまた先人にならってこの楼に上り、一編の詩を詠む。杜甫の晩年を飾る名作「岳陽樓に登る」だ。
杜甫の五言律詩「岳陽樓に登る」(壺齋散人訳)
昔聞洞庭水 昔聞く洞庭の水
今上岳陽樓 今上る岳陽樓
吳楚東南坼 吳楚東南に坼け
乾坤日夜浮 乾坤日夜浮ぶ
親朋無一字 親朋一字無く
老病有孤舟 老病孤舟有り
戎馬關山北 戎馬關山の北
憑軒涕泗流 軒に憑りて涕泗流る
昔は洞庭湖の豊かな水のことを聞いたものだが、いまはこうして湖辺の岳陽樓に登っている、吳楚の地は東南が裂けて、満々とした水を天地の広がりの中にたたえているのがわかる
親朋からは一字の便りもなく、老いて病気がちな身には一隻の船が頼りだ、關山の北では戎馬が駆け回り、それを嘆く余り軒に凭れて涙するばかりだ
あまりに有名な詩なので、改めて解説する必要もあるまい。天地に放浪して老年を迎え、強烈な望郷の念に打たれる杜甫の姿がある。
関連サイト: 杜甫:漢詩の注釈と解説
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