ブリューゲルの版画

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ブリューゲルの生年は1525年から1530年の間だろうと推測されている。というのもブリューゲルは1551年にアントワープの画家組合に初めて親方として登録しているのだが、通常それは21歳から26歳の間になされるのが慣行だったからだ。確定的ではないが、大きく間違ってもいないだろう。

死んだ年が1569年であることは確実である。だからブリューゲルは最大に見積もっても、40代の半ばで死んだことになる。それでもブリューゲルは、ヨーロッパの絵画史に大きな足跡を残した。その特異な画風は、同時代のどんな絵画とも似ておらず、したがって高く評価されることもなかったが、版画だけは例外で、同時代人にも人気があったといわれる。

とりわけ風景画は人気があった。ブリューゲルが生きた16世紀のフランドル地方は、風景を描く画家が多くいたらしく、ブリューゲルはその中でも花形的な位置を占めていたらしいのだ。フランドルの絵画は、17世紀に華やかな風景画の世界を花開かせるのだが、ブリューゲルはその先駆者として位置付けることもできる。

ブリューゲルが風景画を描いたのは、イタリアへの修行の旅から帰ってきた後の、1555年から1556年のことである。1557年以降は、風景画という狭い枠を離れて、今日ブリューゲルの特徴とされているあの独自な世界に踏み出すにいたるから、彼が風景画家として活躍したのは、ごく短い間に過ぎない。

ブリューゲルに版画のための下絵を依頼したのは、ヒエロニムス・コックという人物だった。コックは自身も画家であったが、とりわけ風景画を好んだ。それもティツィアーノやカンパニョーラなどイタリア・ルネサンスの様式を好み、イタリア風の風景画をブリューゲルにも求めたのだと思われる。

ブリューゲルは、コックの要望に応えて、大風景画シリーズと今日いわれる一連の風景画を制作した。それらはアルプスの雄大な景色やら、農村の穏やかな風景を描いたものだ。後にこうした作風をもとに、17世紀のフランドルの風景画が育ってくる。

上の作品は「深い谷間のあるアルプスの風景」制作年は1555年頃、ブリューゲルの風景画の典型的なものといえる。

ごつごつした岩肌の山々と谷間に広がる田園風景、そして点景としての人物、こうした要素はブリューゲルの風景画に共通する特徴であるのみならず、彼の晩年の油彩画でも発揮されている特徴だ。

背景の山の姿などは、ほとんどそのままの形で、「乾草の収穫」のなかに再現されている。





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このページは、が2011年1月31日 18:49に書いたブログ記事です。

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