Towton25:薔薇戦争の古傷

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上の写真(Bradford University提供)は、Towton25 と呼ばれる中世英国戦士の骸骨だ。骸骨には8つの傷がある。中には古傷と思われるものもあるが、ほとんどは一時につけられたものと推測されている。英国の歴史のターニングポイントとなったタウトン Towton の戦いのときの傷だ。

タウトンはイングランド北部の町だ、ここで1461年の3月に大規模な戦いが繰り広げられた。ばら戦争の一齣だ。この闘いに勝ったヨーク公がランカスター家のヘンリー6世を退けてエドワード4世となった。だがエドワード4世は人望がなく、王権を巡る混乱は続く、リチャード三世の登場を経て、ヘンリー7世がチューダー王朝を樹立することで、内乱に終止符がうたれた。

この時代の王権を巡るすさまじい戦いの歴史については、シェイクスピアの一連の王権劇が描き出しているところだ。

ところでこの骸骨は、タウトンの集団埋葬地の跡から発掘された。つけられた傷のすさまじさが、戦いの激しさを物語っている。額の中央を上下に走っている傷は、タウトンの戦い以前に蒙った古い傷だと思われる。新しい傷は7つもあり、そのうち後頭部に受けた刀傷が致命傷になったと思われるが、それに加えて顔面にとどめの一撃を食らったようだ。左のこめかみから右あごにかけての傷がそれで、この一撃で頭蓋骨が二分されたような観を呈するに至った。

タウトンの戦いには、約8万人の戦士が加わり、3万人近くが死んだとされる。当時のイングランドの人口は300万人を超えなかったから、人口の1パーセントがこの闘いで死んだことになる。

なおシェイクスピアの王権劇を理解しやすくするためにいうと、ランカスター側もヨーク側も、自分自身の軍隊は持っていなかった。彼らはそれぞれ諸侯に働きかけて、諸侯から出させた戦士たちで戦いあっていた。

この点、関ヶ原の戦いに臨むために、諸大名に号令をかけた家康と光成の立場に似ている。


関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト





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このページは、が2011年1月 3日 19:58に書いたブログ記事です。

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