初發嘉州 蘇軾

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中国の詩人の理想像は、科挙に及第して国家枢要の人物に栄進し、その傍ら詩を以て政治を論じ、花鳥風月を詠じ、また人生を究明せんとすることにあった。彼らは詩のために詩を書くことを潔しとしなかったのである。

そんな詩人としての理想像を極めたものは極めて少ないとせねばならぬが、その数少ないうちの一人として、蘇軾をあげることに、誰も異存はないであろう。

彼は単なる詩人であることに満足せず、士大夫として深く政治にかかわらんと欲した。そしてその志を詩の中に表現せんと欲した。だからといって、彼の詩は決して観念の産物にとどまってはいない。

政治を詠じても、風流を詠じても、蘇軾の詩は人間の血潮が熱くたぎっていることを感じさせる。その血潮の熱さが、蘇軾をして、挫折の多い人生を、陰影豊かなものにせしめた、そういえるのではないかと、筆者は感じている。

筆者の漢詩シリーズのうち、このシリーズでは、蘇軾という詩人を通して、中国の詩人の理想的な生き方の一端を探ってみようと思う。


蘇軾の五言古詩「初めて嘉州を發す」(壺齋散人注)

  朝發鼓闐闐  朝に發すれば鼓は闐闐
  西風獵畫旃  西風 畫旃を獵す
  故郷飄已遠  故郷飄として已に遠く
  往意浩無邊  往意浩として無邊なり

朝船に乗って出発すれば見送りの鼓が鳴り響き、西風が帆をはためかす、故郷はあっというまに遠ざかり、これから向かっていく先が延々と控えている

  錦水細不見  錦水細やかにして見えず
  蠻江清可憐  蠻江清くして憐むべし
  奔騰過佛脚  奔騰佛脚を過ぎれば
  曠蕩造平川  曠蕩として平川に造る

錦水の流れは背後に去って見ることは出来ず、蠻江の流れが目の前に清い、ほとばしるようにして仏脚のもとを過ぎれば、川の流れは広々と緩やかになる

  野市有禪客  野市 禪客有り
  釣台尋暮煙  釣台 暮煙を尋ねん
  相期定先到  相期す定めて先づ到らんと
  久立水潺潺  久しく立たたん水の潺潺たるに

野市にいる禅僧を訪ねていこう、今頃は釣でもしていることだろう、到着したら真っ先に尋ねると約束したからには、今頃は首を長くして待っていることだろう


蘇軾の詩人としての出発は、母の喪が明けた24歳頃のこと、父蘇洵、弟蘇轍とともに、故郷眉州を離れ、首都開封に向かう船旅の中で詠った詩に始まる。

それに先立って、蘇軾は21歳の時(嘉祐元年)、父弟とともに、蜀の桟道を超えて首都の開封に至り、めでたく科挙に合格していた。だが翌年、母の死の知らせに接するや、父弟ともに故郷の蜀に戻っていた。

母の喪が明けると、蘇軾は再び父弟とともに、開封を目指した。その旅の途中で詠じた詩がこの偉大な詩人の詩作の出発点となったわけである。

「初發嘉州」と題するこの詩は、蘇軾にとっては、実質的な処女作ともいえる作品。かの李白が、故郷の蜀を出て、長江を下る途中に詠じた「峨眉山月歌」を想起せしむ。

なおこの詩には「是の日、郷僧宗一と釣魚台の下に会別せんことを期す」との自注がある。


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