和子由澠池懐旧(人生到る處知んぬ何にか似たる):蘇軾を読む

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蘇軾の七言律詩「子由の澠池懐旧に和す」(壺齋散人注)

  人生到處知何似  人生到る處 知んぬ何にか似たる
  応似飛鴻踏雪泥  応に飛鴻の雪泥を踏むに似たるべし
  泥上偶然留指爪  泥上偶然として 指爪を留むるも
  鴻飛那復計東西  鴻飛ばば那ぞ復た 東西を計らん
  老僧已死成新塔  老僧は已に死して 新塔を成し
  壊壁無由見旧題  壊壁は旧題を見るに由無し
  往日崎嶇還記否  往日の崎嶇 還た記するや否や
  路長人困蹇驢嘶  路長く人困しみ蹇驢嘶きしことを

人間の命などというものは畢竟何かといえば、コウノトリが雪の上に残した足跡のようなものだ、ひとたびは爪跡ができるかもしれぬが、鳥が飛べば後には何も残らない

老僧は死んで塔婆となり、壁は崩れてかつて彫ってあった文字も見分けられぬ、君はあのときの苦しかった歩みを覚えているだろうか、道は長く人は苦しみ、ロバが脚を痛めて嘶いたことを


蘇軾が開封を出発して鳳翔府へと向かった道は、5年前に科挙を受けるために、故郷の蜀から開封へと向かったのと同じ道であった。今回はその道を逆の方向へと向かうわけである。その道中蘇軾は澠池に滞在した。するとそこへ、蘇轍からの手紙が届いた。手紙には「懐澠池寄子瞻兄」という詩が添えられていた。

この詩は弟の詩に和して作ったものである。和するとは、原詩にあるのと同じ韻を踏んで詩を作ることをいう。

この詩も前回の詩と同様、初めての任地に向けての抱負は語られず、弟と離別する哀愁がテーマになっている。


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