目白界隈を歩く:東京を描く市民の会

| コメント(0) | トラックバック(0)

110437.reimei.jpg

この前の日曜日(4月24日)、久しぶりに東京を描く市民の会のスケッチ大会に参加して、目白界隈の歴史的建築物を見て歩いた。

この催しに参加するのは、平成6年の5月以来のことだから、実に5年ぶりだ。10時近く、待ち合わせ場所の目白駅前広場に着くと、70-80人の会員が集まっている。春の盛りの柔らかい日差しが、人の心を浮き浮きさせて、思わず足を運ばせたのかもしれない。

この日は全員が同じコースを歩くのではなく、三つのコースに分割するという。一つ目は、自由学園の周辺に散在する建築物を回るコース、二つ目は学習院、三つ目は日立目白クラブとバプチスト目白教会だ。筆者は一つ目のコースに参加した。

役員の高田さんに先導されて、30名ばかりが列をなして進んでいく。広場を出て西の方向へ歩くと、10分ばかりして、徳川黎明会の建物にたどり着く。黎明会の周辺には徳川ヴィレッジと称する一角が展開していて、今でも徳川家の子孫たちが暮らしているそうだ。ヴィレッジも黎明会館もどちらも立ち入ることはできなかったが、葵の紋が彫られた重厚な金属の扉が印象的だった。(上の写真参考)

徳川ヴィレッジの東側には目白庭園がある。小さいながらも池を囲んだ回遊式庭園だ。鈴木三重吉にゆかりあるところだそうで、建物は赤鳥庵と名づけられている。豊島区が管理していて、誰でも利用することができる。そういえば10年ばかり前に、謡曲仲間と一緒にここを借り切って、一日中うなったことがあったっけ、そんなことを思い出した。

西武線の線路をまたいで北の方向に進むと、宮崎白蓮の旧宅がある。白蓮は皇族の生まれで、日本の女性解放運動に痕跡を残した人だ。15歳で九州の炭鉱王と結婚させられたが、自分の意思で姦通したことで、皇籍をはく奪された。晩年はこの地で平和な生活を送ったそうだ。

そんな白蓮に、高田さんはこの近所で育った縁があって、特別な思い入れがあるらしく、彼女の生涯を研究しているそうだ。

白蓮の旧宅から東側にしばらく歩くと、自由学園がある。羽仁吉一・元夫妻が女子教育の拠点として立てたものだ。フランク・ロイド・ライトとその弟子遠藤新の設計になる明日館は軒高を低くし水平線を強調した「プレーリーハウス」とよばれる様式だそうだ。国の重要文化財に指定されているが、いまでも現役の校舎として利用されている。この日は結婚式が催されていた。

ここで見物終了ということになり、みな思い思いにスケッチを始めた。筆者はその場で明日館を鉛筆スケッチし、それを描き終えると、学習院に向かった。

学習院では西1号館を鉛筆でスケッチした。立ち並ぶ建物の中で最もシックな外観だ。ほかの会員たちも、それぞれ組み立て椅子に座り込んで、思い思いにスケッチしている。のんびりとして、いい気持ちだ。

こんなわけで、数年ぶりに参加した描く会のスケッチ大会を、楽しく過ごすことができた。なお、スケッチに色を置いて水彩画に仕上げたものは、後日披露したいと思う。


関連サイト:東京を描く市民の会月例スケッチ





≪ 月島の古家:水彩画を楽しむ | 水彩画を楽しむ | 自由学園明日館:水彩画を楽しむ ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/3118

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2011年4月29日 18:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「村上春樹の小説「風の歌を聴け」を読んで」です。

次のブログ記事は「中部電力が浜岡原発3号機再稼働を表明:投資家への責務?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。