菅総理大臣の停止要請を受けて中部電力が浜岡原発4号機、5号機の一時停止を決定したことをめぐって、冷泉彰彦氏がNEWSWEEK日本版に批判記事を書いている。停止のタイミングが悪いという論旨だ。(「浜岡原発4号機・5号機停止のタイミングについて」)
冷泉彰彦氏は現在アメリカに在留していることもあり、日本を外から眺めることで、日頃客観的でかつ鋭い日本論を展開されている。筆者も愛読者の一人だが、この記事は折角実現した浜岡原発停止問題に、冷水をかけるような効果があり、政局好きな連中に利用されかねない懸念もあるので、ひとこと触れておきたい。
氏はタイミングの問題として次の4点を指摘している。
第一に、IAEAの日程との関係だ。IAEAは五月中に日本での査察を予定しており、それを踏まえて原発の国際的な安全基準を作ることになっている。なぜその結果を待てないのか。
第二にそしてもっとも重大な問題点を含んだものとして、使用済み核燃料の保管にからむ危険をどう考えるかという点だ。氏はアメリカが今回の福島原発事故の最大の問題は使用済み核燃料プールが加熱して、そこから大量の放射能が漏れ出たのではないかと考えていることを紹介した上で、現在使用中の核燃料を取り出してそれを保管することのリスクのほうが、原子炉を燃やし続けることより危険ではないかと問題提起している。つまり、停止しないよりは、急に停止することのほうがリスクが多いのだから、現在の時点での停止はバッド・タイミングだというわけだ。
この問題について、氏は以前から何度か取り上げており、日本における使用済み核燃料の取り扱い方法に警鐘を鳴らしていた。今の日本では、核燃料は13ヶ月ごとに取り出されて冷却プールで保管されているが、これをアメリカはじめ国際基準に従って24ヶ月おきにしたほうがずっと安全だ、なぜなら24ヶ月たてば燃料はほぼ燃え尽きるからだ。
だから今回の停止措置は、燃料がもっとも過熱されているときに取り出すこととなり、もしも福島と同じような事故に見舞われたときのダメージはずっと大きくなるはずというわけだ。
第三は、第二の問題とからむが、使用済み燃料を冷却する場合のリスクをどう考えるかだ。浜岡原発は原子炉の全面停止によって、すべて外部電力に頼らざるを得ない情況が生じるが、この場合に、電力不足等によって冷却電源が確保できなくなる可能性を否定できない。
第四は国内の安全基準との関係をどう考えるかだ。理想的なあり方としては、IAEAの査察とそれに基づく国際基準作りのプロセスがあり、それに連動して国内の安全基準を作るということだろう。こうした流れの上で、浜岡原発の安全問題について冷静に議論すればよい。それをあえて浜岡だけ切り離して停止措置をとることに、どれだけのメリットがあるのか。
第一と第四の論点はお互いに連動している。今回の事故の分析を踏まえた新たな国際基準を作ってもらい、それに合わせて国内基準を作る。その新しい基準に従って日本中の原発を再点検すればよい。その時点で浜岡を停止するのかしないのか、冷静に考えればいいというに尽きるだろう。
いっていることはわからぬではないが、今回の停止の意思決定は、このような形式的な論理ではカバーできない部分を含んでいる。というより100パーセント政治的な決断だったといってよい。
といっても理論的な根拠がなかったというわけではない。浜岡原発の立地的、技術的な危険性については、これまでも専門家の間から警鐘が鳴らされてきており、訴訟の場でも争われてきた。それでも停止という選択が見えてこなかったのは、まず原発ありきの日本の特殊事情がさせたことだ。その方向性を変えるには、今回のような事態を踏まえた政治的な決定が必要だったということだろう。仮に冷泉氏がいうように、国際的。国内的な基準が整備されるまで待ったとして、そのなかに原発停止の選択肢が入るとは限らない。ということは、原発政策というものは、技術的な側面だけで議論されるものではないからだ。
第二、第三の論点も互いに絡み合っている。どちらも使用済み核燃料の危険性を十分に認識した上での指摘だと思う。これまではともすれば、原子炉のほうばかりが注目され、使用済み核燃料プールの問題点が十分に議論されてこなかったきらいがあるが、三号機と四号機の事故は、核燃料プールが大きく原因したものだ。
たしかに、まだ燃えきっていない状態の核燃料を取り出し、それを保管することに伴うリスクは十分考慮に入れておかねばならない。
そのことはよく理解できる。だがそれを根拠にして、現在使用中の核燃料が燃え尽きるまで停止すべきではないという結論は、出てこないだろう。いまでも日本の原発は燃焼途中で核燃料を取り出し、それを建屋内の冷却プールで冷やすという方法をとっている。それはそれで、大きな問題を抱えているが、だからといって、核燃料の燃焼途中で原発を停止するのはナンセンスだとはいえない。
先ほども行ったように、原発の停止は政治的な判断にもとづくものだったのであり、政治的な判断にはそれをなすべきタイミングというものがある。こうしたことを前提にしたうえで、今後停止に伴う問題点をひとつづつ解決していくというのが、王道ではあるまいか。
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はじめてコメントさせていただきます。
今回の総理の決断に対し、各方面からの批判にちょっと違和感を感じていましたが、記事を読ませていただいて、とても共感し、少しだけ安心した思いです。
タイミングもそうですが、条件や工程等についても、本音をストレートに出すわけにもいかず、様々な政治的配慮があって、なんとか実現したことだと思うのです。
総理は、ほとんど不可能とも思える決断をしてくれたのだから、私はそれについてとにかく感謝しています。今度は、国民の側が、今回の決断をどのように今後に活かしていくのかが、問われているように思います。