東電の原発事故にかかわる賠償スキームの政府案に、批判が高まっている。朝日新聞の6月14日付け社説などは、こうした批判を考慮して、法的整理の道をとるべきだといいだした。
批判のポイントはいくつかある。まず株主や債権者の責任が全く考慮されていないことだ。ついで東電自体のリストラについてきわめて甘いことだ。これに加えて、当初は避けるとされていた電力料金の値上げが避けられないと明らかになってきたことだ。
これらはすべて、東電の存続を前提にしているからこそ生じる問題である。いまや東電の存続にかかわることなく、透明で公正な賠償のあり方を再検討すべきだ、というのが批判の大方の趣旨だ。
5月の中旬に賠償スキームの政府案が固まったときに、筆者はそれに一定の理解を示した。やはり巨大災害を引き起こしたBPの例と比較すれば、東電の無限責任を前提としている点で、ずっとましだと思ったからだった。
BPの場合には賠償に上限を設けることで、被災者を犠牲にして株主の利益を守るという奇妙な事態が生じた。アメリカ政府が、賠償問題を私企業の責任に矮小化した結果だ。東電には同じことをさせてはならない、こんな気持ちが働いたからこそ、東電の存続を前提とすることに対して疑問を感じなかった。
だがスキームの詳細が明らかになるにつれ、筆者もやはり疑問を強めざるをえないと感じるようになった。被災者が完全な補償を受けるということを大前提にして、もう一度賠償スキームを見直す必要もあるのではないか。
まず、株主や債権者には相応のリスクを負わせる必要がある。法的整理がとられる場合には、彼らの有している債権は無に帰するわけだから、相当の減資をするなどして応分の責任を果たしてもらう必要がある。そうでなければ、電力料金アップとか国民負担とかの話は出てこないだろう。
東電自体のリストラも徹底的にさせるべきだ。
東電の現状での存続を大前提にする必要はない。すでに電力企業の経営形態をめぐる議論が始まっているが、今回の電力危機を踏まえて、新しい電力供給のあり方を考えてもいい。
こういうと、筆者の言っていることも法的整理と同じだ、と受け取られるかもしれない。朝日の社説のように、法的整理をした上で、東電の賠償能力に不足が出れば、それは別途補完システムを考えれば、完全な賠償という用件がクリアできる。だから法的整理のほうがずっと望ましい、という人も多いだろう。
たしかにそれでもよいかもしれない。だが筆者はそれにこだわるわけでもない。政府案を前提にして、上に述べたような条件がクリアできれば、それでもよいと考えている。
どちらにしても、一企業の能力の範囲内で破たん処理を考えている法的処理のあり方に、政府が介入して被災者の権利を守るという理念が接木されたスキームであれば、それでよい。
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