母子相姦:海辺のカフカ

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村上春樹の小説「海辺のカフカ」は母子相姦という重いテーマを扱っている。村上が何故こんなテーマを持ち込んだのか、筆者などには忖度できないが、少なくとも文面からはあまり陰鬱なイメージは受けない。それより自然にそうなったという印象さえ受ける。

それはひとつには、この母子相姦が父親殺しとともに、少年が受けた予言の成就として行われることから、読者はそこに論理的な必然性を感じさせられるからだ。この少年が母親と交わるのは、運命が少年に命じた行為なのだ。

もうひとつは、この母子相姦がオイディプスのように息子が母親を犯すという構造ではなく、母親が息子を迎え入れるという構造をとっていることと関連する。しかもその母親には、息子を迎え入れるだけの理由がありそうだ。そこが、この母子相姦を普通のそれとは異なった色彩に彩っている所以のようだ。

母親として現れる佐伯さんという女性は、自分が少年の母親だと明示しているわけではない。また作家自身もそれを読者に対して明示しているわけではない。少年の僕自身も、そのことに確信を抱いているわけではない。

ただひとり佐伯さんだけが自分がこの少年の母親だと知っている。へんなようだが、佐伯さんはそのことを少年に対する母親らしい気遣いをすることを通じて、読者にアピールしている。

佐伯さんには心の傷が二つある。ひとつは青春時代に恋人を失ったことから負った傷、もうひとつは捨ててはならないもの、つまり自分の息子を捨てたという心の負い目から負った傷だ。

少年が佐伯さんの前に現れたとき、佐伯さんはその二つの傷を同時に知覚した。佐伯さんはこの15歳の少年の中に、失った恋人の面影と、捨て去った自分の息子の面影と、この二つの面影を重ね合わせてみることになった。

佐伯さんが少年の寝室にやってきたのは、最初は15歳の少女としてだった。それは佐伯さんの生霊だったにちがいない。なぜなら少年はそのイメージを実在的なものと感じたからだ。

何故佐伯さんが15歳の少女として、少年の前に現れたのか。それは佐伯さんが少年の寝室で見つめていた別の少年の肖像画に手がかりがある。つまり佐伯さんは少年のイメージから失った恋人のイメージを喚起させられ、15歳の少女となってその恋人に会いに来たのだ。やはり15歳(実際は12歳)の少年のまま絵の中のイメージとなっているかつての恋人のもとへ。

そのうちに佐伯さんは、現実に実在する佐伯さんとして少年の寝室にやってくる。だが目覚めた姿ではなく、眠っているままの姿で。つまり夢遊病者の状態で少年のベッドの中に入ってくるのだ。

「彼女は裸になると、白い腕が僕の身体にまわされる。僕は彼女の暖かい息を首に感じる。太腿に彼女の陰毛があたるのを感じる。佐伯さんはたぶん僕のことを、ずっと昔に死んでしまった恋人の少年だと思いこんでいる。そしてこの部屋で昔おこなわれたことを、そのまま繰り返そうとしている。ごく自然に、当たり前のこととして、眠ったまま、夢を見たまま。」

僕は彼女がきっと思い違いをしているのだと思って、一旦は彼女を目覚めさせ、自分のしていることをやめさせようとする。しかし、なぜか運命的な力に引きずられるようにして、彼女に抱かれるままになる。それをカラスと呼ばれる少年が見つめている。少年自身の自意識が二つに分裂するのだ。

「そして君自身、時間の歪みのなかに呑みこまれていく。
「彼女の夢が君の意識をあっという間もなく包んでいく。羊水のように柔らかく温かく包んでいく。佐伯さんは君の着ているTシャツを脱がせ、ボクサーショーツをとる。君の首に何度も口づけし、それから手を伸ばしてペニスを手に取る。それはすでに陶器のように硬く勃起している。彼女は君の睾丸をそっと手に包む。そして何もいわず、君の指を陰毛の下に導く。性器は温かく濡れている。彼女は君の胸に唇をつける。君の乳首を吸う。君の指はまるで吸い込まれるように、ゆっくり彼女の中に入っていく。・・・

「やがて佐伯さんは仰向けになった君の身体の上に乗る。そして脚を広げ、石のように硬直した君のペニスを自分の中に導いて入れる。君は何かを選ぶことができない。彼女がそれを選ぶ。図形を描くように深く、彼女は腰をくねらせる。・・・ほどなく君は射精する。もちろん君にはそれをおしとどめることはできない。彼女の中に何度も強く射精する。」

分裂した意識の片方が見ている前で、少年は母親の中で射精する。母親は更に眠り続けたまま、少年を抱き続け、なおまた目覚めることなく、夢遊病者のように部屋を去っていくのだ。

このシーンで村上がいったい何を表現したかったのか。それは本人だけしかわからない。あまりにも強烈で、しかも人倫から無縁な行為であるから、我々はそれを正視することさえできないのに、作者の村上はそうした我々の偽善性をあざ笑うかのように、母子相姦のまがまがしい現場を、乾いたタッチで描いていくのだ。

佐伯さんは、少年との間で母子の確認をすませぬままに死んでしまう。それはナカタさんが佐伯さんの前に現れ、自分が異界へ通じる入り口の扉を開けるのだと、使命を語ったからだった。

佐伯さんは、ナカタさんたちが開けた扉を通って異界へと移動し、そこで息子がやってくるのを待つこととなる。15歳の少女としてだ。


関連サイト:村上春樹論集





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このページは、が2011年7月29日 19:42に書いたブログ記事です。

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