与野党の政治的駆け引きの結果、子ども手当の実質的な廃止が決まった。自民・公明両党が民主等のばら撒き政策のシンボルとして、その廃止を強く求めたのに対して、菅総理大臣の退陣の環境を整えたい民主党執行部が、妥協を図った結果だ。それ故、国民の目には、政策論争というより、権力争いのだしに使われたのではないかとも映る。
この結果についてメディアの論調は、やむをえない措置というのが主流だ。
朝日は「この転換はやむをえない。財政が逼迫(ひっぱく)しているなか、公約自体に無理があった。そのうえ、東日本大震災の復興財源を捻出しなければならなくなっている」と論評し、民主党の公約違反は問題だが、事柄の性質上やむをえないことだといっている。
読売のほうはもっと踏み込んで、今の情勢を考えれば廃止するのが当然で、現実的な方向転換だというスタンスだ。そのうえで、民主党内で予想される反発を、かたくなな原理主義と切り捨てている。
国民の多数意見も、テレビのインタビューなどを見る限りでは、やむをえないという反応が多いようだ。子ども手当が廃止されたからといって、子育て支援については児童手当の復活というかたちで引き続き実施される。東日本大震災で国難に陥った現在の情況を考えれば、子ども手当といえども声域ではありえないということだろう。
こうした事情は筆者にもわからないではない。本当に分からないのは、国民の未来にとって重要なことがらが、堂々と政策論争として議論されず、政争の取引材料に矮小化され、それを誰も怪しまないという事態だ。
自民党の谷垣総裁などは、民主党に妥協を迫っていながら、その妥協が実現して自分たちの言い分が通った途端に、民主党は国民への公約を破ったのだから、改めて国民に対してその是非を問うべきである、つまり総選挙をすべきであるなどといっている。どういう神経からこういうことをいうのか、筆者にはまったくわからない。
民主党はもちろん国民への公約を破ったのだから、国民をペテンにかけたと責められてもいたし方のないところがある。しかし谷垣総裁が上のようにいうのは、紳士的な交渉の相手をペテンにかけるような言い方だといわねばならない。
どうもこの国には、ペテンの好きな政治家が多いらしい。
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