8月の初旬は東北地方にとっては夏祭りのシーズンだ。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地方にも、そうした夏祭りが多く伝わっている。相馬の野馬追や仙台の七夕など、その代表的なものだ。岩手県の陸前高田も日本でただ一つという動く七夕の伝統を伝えてきた。
そんな伝統的な祭りを、今年は果してできるかどうか、被災地の皆さんはずっと悩んできた。しかしその悩みを超えて、できる限りの力で祭という伝統の灯を伝えていこう、こんな思いから各地では規模を縮小しながら祭を行ったところが多い。
そんな中でも、陸前高田の動く七夕や南相馬市の相馬野馬追をめぐる、地元の人々のなんとしてでも祭りを成功させようとする必死な取り組みの模様を、NHKスペシャルが伝えていた。題して「東北 夏祭り ~鎮魂と絆と~」
陸前高田は、いくつかあった祭の屋台の殆どが津波に流されたあとで、三つの屋台がかろうじて残った。そのうちのひとつは潮水を被って動くかどうかわからない。それでも地元の青年はこの屋台で動く七夕を今年も動かしてみたい、そう強く願った。彼がそう願ったわけは、地震と津波で死んでいった数多くの仲間たちの鎮魂のためだった。
関係住民の中には、こんな大変な時に、お祭り騒ぎをするのは不謹慎だという意見がなかったわけではない。しかし日本の祭りは本来、死者の荒ぶる魂を鎮めるためにある。祭を行うことによって、死者の魂と自分たち生けるものとの交流をはかり、その過程で死者の魂の安らぎと、我等生ける者への力添えを期待する、これが日本の祭の本義ではないか。そうだとすれば、大勢の人が不本意のまま命を失わなければならなかった今年こそ、祭を絶やすべきではない。こんな思いが人々を祭の成功へと駆り立てたのだった。
筆者は陸前高田の人々が、自分の生活をどうするかさえ大変なのに、身命をなげうってまで祭を成功させようとはげむ人々の表情を見て、日本人としての、人間の生き方の原点のようなものを、感じないではいられなかった。
潮水をかぶったために錆びついてしまった車輪を何とか修復し、屋台が動き出した時の人々の喜びの表情が何とも素敵だった。
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