ユリア・チモシェンコ(Ю́лия Тимоше́нко)ウクライナのジャンヌ・ダルク

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ユリア・チモシェンコ(Ю́лия Тимоше́нко)は、2004年から2005年にかけてウクライナに吹き荒れたオレンジ革命のシンボルのような女性だ。民衆の先頭に立って自由化を訴えつづけたその姿から、ウクライナのジャンヌ・ダルクと呼ばれる。

オレンジ革命は2004年の大統領選挙をめぐって勃発した。クチマ前大統領の後継者でロシア寄りだったヤヌコーヴィチ (Виктор Янукович) と野党のユシチェンコ(Віктор Ющенко)の一騎打ちとなったこの選挙で、一旦はヤヌコーヴィチの勝利が宣言されたが、ヤヌコーヴィチ側の大規模な不正を糾弾する民衆が選挙のやり直しを獲得、その結果ユシチェンコが勝利して大統領となった。ユシチェンコを後押ししていたチモシェンコは、論功を評価されて首相に抜擢された。

だがユシチェンコとチモシェンコの蜜月は長続きしなかった。ユシチェンコ陣営の腐敗体質を糾弾して止まないチモシェンコに激怒したユシチェンコはチモシェンコを解任したのだ。たとえ政治的な同盟者であっても腐敗は許さない、これがチモシェンコの信念だったのだ。

昨年の大統領選挙は現職のユシチェンコを含めて多数の人物が出馬したが、ヤヌコーヴィチとチモシェンコによる決選投票となり、その結果ヤヌコーヴィチが当選した。

ヤヌコーヴィチは大統領に就任するや、早速かつての政敵であるチモシェンコを露骨に迫害するようになった。そして先日(8月5日)、職権乱用容疑で彼女を逮捕した。

チモシェンコは自分が何故逮捕されたか、その理由は十分に分かっているといって、公判の席でも敢然とした態度をとり、検察官をにらみ続けるほどの勢いを示した。彼女は、自分の後ろに大勢の味方がいることを分かっているのだ。

そのことはヤヌコーヴィチ側も分かっているようだ。やり方を間違えると、チモシェンコは本物の殉教者に祭り上げられてしまい、自分は残忍な迫害者の役割に甘んじるかもしれない。そんな配慮から、チモシェンコに対して、露骨なまねはできないでいる。当面はつまらない経済犯罪を理由にして断罪し、政治的な影響力をなるべくそいでおこう。こんな思惑が読み取れる。

ところで、編んだ髪冠がトレードマークになっているチモシェンコは、お洒落にも余念がない。高級ブランドを着こなし、普段はなかなかチャーミングな雰囲気に包まれている。それが、一旦政治闘争のことになると、男勝りの活躍をする。こんなところから、「ジャンヌ・ダルク」のほかに、「鉄の女」とか「最後の侍」とかいったあだ名もある。本人は「ジャンヌ・ダルク」は遠慮したいといっているそうだ。「ジャンヌのような死に方はしたくないもの」というのがその理由だそうだ。(写真はロイターから)

(参考)Ukraine's Joan of Arc Yulia Tymoshenko isn't afraid to be a martyr. She may soon get her chance. By Anna Nemtsova Newsweek





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このページは、が2011年8月18日 21:32に書いたブログ記事です。

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