リビアのカダフィ政権がついに崩壊した。反体制派が首都トリポリをほぼ全面的に制圧し、カダフィ大佐が立てこもって最後の抵抗の拠点としていた軍事施設も制圧、カダフィ大佐本人はまだ行方不明の状態だが、逮捕されるのは時間の問題だ。カダフィ政権は後戻りのできない崩壊過程を始めたといえる。
ジャスミン革命の一環として、チュニジア、エジプトに続いて始まったリビアの民主化運動だったが、カダフィ政権が思いのほかに力を示し、民衆による動乱は内乱にまで発展した。その動乱が始まってから6ヶ月、NATOによる軍事介入から5ヶ月たったいま、ようやく民衆側の反体制運動が勝利したわけだ。
チュニジアやエジプトと異なり、リビアの内乱が収まるまでこんなにも長引いたことの背景には、リビア特有の事情があった。
リビアは他のアラブ諸国と比べても、かなり特異な政治システムをとっている。政治権力はカダフィ個人の政治的権威によって運営され、そもそも民意を反映すべき議会も、国の形を定めた憲法も存在しない。すべてはカダフィという人物の意思を体現するかたちで行われる。そのカダフィは部族連合の頂点という位置づけにたち、部族間の均衡と対立を利用することで、自分の権力の安定化を図ってきた。要するに法治主義ではなく、人治主義が貫徹されていたわけだ。
カダフィの人治主義は、近年は恐怖政治の色彩を強く帯びていたようだ。その恐怖主義を機能させるために、カダフィは強力な暴力装置を築き上げた。それらは国民からなる近代的軍隊ではなく、周辺諸国から駆り集めた傭兵からなっている。リビアの正規軍はカダフィの私兵集団だったわけだ。
チュニジアやエジプトで政権があっさり倒れた背景には、軍が民衆の側についたという事態があったが、リビアの場合には、カダフィの私兵集団は最後まで民衆に同情する理由を持たなかった。これがリビアの内乱を長引かせた最大の原因だ。
以上のようなリビア特有の事情は、カダフィ以後の新しい体制作りを制約する要因としても働く。リビアが民主的な国家として生まれ変わることは、ゼロからの出発を意味するといってよい。
まかり間違えば、リビアは政治的なカオスに陥る可能性もある。国際社会がさまざまなレベルで援助の手を差し伸べる必要があろう。(写真は時事通信から)
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