定恵院海棠詩:蘇軾を読む

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息子邁とともに一足早く黄州についた蘇軾は、残りの家族が来るのを待つ間、定恵院という寺に仮住まいした。そこは長江から少し離れ、樹木が鬱蒼と茂った山の中にあった。

蘇軾はそこで、僧侶たちと食事をともにし、よく海棠の木の下を散歩した。散歩と対話と、そんなことを重ねるうちに、蘇軾は次第に内省的になっていった。

蘇軾は官僚として儒教的教養を身につけていたが、自分の身の挫折をきっかけにして、仏教的な内省にも親しむようになっていった。そんな蘇軾の周りに多くの人が集まってきた。知事の徐大受もその一人だった。徐大受はやがて、合流した蘇軾の大家族を、臨皐亭に仮住まいさせてやった。


  東風渺渺泛崇光  東風渺渺として崇光泛(ゆら)ぐ
  香霧空濛月転廓  香霧空濛として月廓に転ず
  只恐夜深花睡去  只だ恐る夜深くして花睡り去らんことを
  故焼高燭照紅粧  故(ことさら)に高燭を焼(も)やして紅粧を照らさん

東風がはるか彼方から吹いてきて星影がゆらぎ、花の香りが立ち込めて月が庇に傾く、夜が更けて海棠の花が眠ってしまうのが心配だ、だから蝋燭の火を明るくともして花を照らしてやることにしよう


この詩は蘇軾の詩の中でも最も有名なもののひとつだ。視覚的なイメージが色気をかもしだし、花に呼びかける詩人の風流がユーモアを感じさせる。


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