滿庭芳:蘇軾を読む

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元豊七年、蘇軾は黄州から徐州の鍛錬副使に移されることになった。皇帝が蘇軾の才を惜しんで、少しでもましな境遇にしたいと取り計らってくれたのだ。

蘇軾ははじめ、辞令は形式にとどめてもらい、引き続き黄州にとどまろうかとも考えたが、皇帝の温情を知るに及んで、徐州に映ることを決心した。

蘇軾の移転を知った黄州の人々は、別れを惜しむために集まってきてくれた。その席で蘇軾は次のように別れを惜しむ気持ちを歌った。


  元豐七年四月一日,佘將去黃移汝,留別雪堂鄰里二三君子,會李仲覽自江東來別,遂書以遺之。

  歸去來兮      歸りなんいざ
  吾歸何處      吾何れの處にか歸らん
  來往如梭      來往は梭の如し
  待閒看       待ちて閒看せん
  秋風洛水清波    秋風洛水の清波を
  好在堂前細柳    好在堂前の細柳
  應念我 莫剪柔柯  應に我を念ひて 柔柯を剪ること莫かれ
  仍傳語 江南父老  仍ち傳語せよ 江南の父老に
  時與曬漁蓑     時に漁蓑を曬に與へよと

さあ帰ろう といって帰るあてもない 人事は梭のようにめまぐるしく移り変わる 願わくはこのまま 秋風洛水の清波を眺めていたいものだ

この堂前の細柳を見たら 私のことを思い出して 若枝を切ったりはしないで欲しい そして江南の老人たちには ときには我が漁蓑を日にあててほしいと伝えてくれ


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