戦争を煽った新聞社:半藤一利「昭和史」から

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昭和初期の新聞社が軍部と結託して戦争を煽ったことについては、先稿「熱狂はこうして作られた:メディアの戦争責任」の中でも触れたところだ。その中で、最も戦争礼賛に熱心だったのは東京日日新聞(今の毎日新聞)で、朝日新聞などは批判的なところもあったと書いたが、それは事実ではなかったようだ。半藤一利さんの「昭和史」を読むと、大新聞は一貫して戦争を煽り立てていたということになる。

新聞が戦争報道に熱心だったのは、戦争の記事が良く売れるからだ。戦争のことを書き、勝った勝ったと叫びたてればたてる程新聞は良く売れるのだ。だから新聞各社は、軍部と結託して戦争熱を煽り、読者の熱狂を新聞の売り上げに結びつけようとした。軍部もそれをよく理解していて、戦争遂行に最大限新聞を利用した。

戦争記事が紙面を賑わすようになるのは、満州事変のすぐ後からだ。新聞各紙は毎日のように、戦争の状況を報道し、国民の熱狂を煽っていく。新聞社は記事を派手にするために、巨額の金を使って現地取材を行い、また高級軍人に取り入って情報ネタを仕入れようとした。半藤さんは、新聞社の幹部が「星ヶ岡茶寮や日比谷のうなぎ屋などで、陸軍機密費でごちそうになっておだを上げていたようです」と書いている。

そうしたうわさは民間にも流れていたようで、永井荷風などはそれを日記の中で取り上げ、慨嘆した。

「同社(朝日新聞社)は陸軍部内の有力者を星が岡の旗亭に招飲して謝罪をなし、出征軍人義捐金として金十万円を寄付し、翌日より記事を一変して軍閥謳歌をなすに至りしことありという。この事もし真なりとせば言論の自由は存在せざるなり。かつまた陸軍省の行動は正に脅嚇取材の罪を犯す者と云ふべし(昭和七年二月十一日)」

これは、朝日が一時期戦争に批判的だったことの根拠のひとつとして引合いに出されるところだが、ともあれその朝日も、陸軍の尻馬に乗って「売らんかな」のため「笛と太鼓」で扇動した事実を消すことはできない。

満州国の建国に際しては、朝日新聞は次のように書いて、祝福した。

「新国家が禍根たりしがん腫瘍を一掃し、東洋平和のため善隣たる日本の地位を確認し、共存共栄の実をあぐるに努力すべきであろうことは、いうだけ野暮であろう」

癌腫瘍とは反日運動のことをさす、そんなことはやめて日本と共存共栄しようと新国家に呼びかけているわけだ。

満州事変をめぐって国際連盟での風当たりが強くなり、日本が孤立を深めるようになると、新聞は次のように言って、孤立を恐れるなと、発破をかける始末。

「これ実にこれ等諸国に向かって憐みを乞う怯惰の態度であって、徒に彼らの軽侮の念を深めるのみである・・・我が国はこれまでのように罪悪国扱いをされるのである。連盟内と連盟外の孤立に、事実上何の相違もない」(東京日日新聞)

そして国際連盟が日本軍の満州からの撤退勧告案を採択すると、新聞は連盟からの脱退に向けて、政府の方針を尻押しする。

新聞はまた、日独伊三国同盟の締結に熱心であり、そのために反英世論を煽ることにも努めた。昭和14年におこった天津事件を巡って、日本軍はイギリスとの間で緊張状態に入ったが、その時に日本の新聞社は次のような共同社説を載せて、反英熱を煽った。

「英国はシナ事変勃発以来、帝国の公正なる意図を曲解して援蒋(蒋介石を援助すること)の策動を敢えてし、今に至るも改めず。為に幾多不祥事件の発生をみるに至れるは、我等の深く遺憾とするところなり。我らは聖戦目的完遂の途に加えられる一切の妨害に対して断固これを排撃する敵信念を有するものにして、今次東京会談の開催せらるるに当たり、イギリスが東京における認識を是正し、新事態を正視して虚心坦懐、現実に即したる新秩序建設に協力もって世界平和に寄与せんことを望む。右宣言す」

随分と勇ましい宣言だが、その勇ましさに的確な現実認識が伴っていないことに、当時の大新聞をはじめ日本国民全体の不幸の原因があったわけだ。

戦争末期になると、新聞は事実の報道と云う本質的な機能を全く果たさなくなり、国民に対して嘘の報道ばかりするようになる。というより、軍部の傀儡となって、軍部のいうことを単に横流しするだけの、情けない存在に堕していったのである。





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このページは、が2011年12月27日 18:09に書いたブログ記事です。

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