エズラ・パウンドは第二次世界大戦中にはイタリアに居住し、ムッソリーニに大いに共感したうえで、アメリカにはイタリアに敵対しないように呼びかけた。そのことで彼はファシストであると断罪され、イタリアの敗北後、祖国に対する反逆罪に問われて、12年以上も監獄にぶち込まれた。下獄したのちは再びイタリアに渡ったが、政治的な活動は一切つつしみ、沈黙を守りとおした。
パウンドは、イタリアのネオ・ファシストの間では今でも人気がある。パウンドの名を冠した団体まで現れたほどだ。その団体の名称は「パウンドの家(CasaPound)」という。
2003年にローマ駅近くにあった空き家をネオ・ファシストのグループが占拠して、そこを「パウンドの家」と名付けたことに始まる。この団体は、政治活動のかたわら、ホームレスの保護活動などを展開しているという。
この団体の活動が世間の注目をあびるようになると、その名称から、エズラ・パウンドの名も、ファシズムとの関連で言及されることが多くなった。これに対してパウンドの遺族たちは耐え難く思った。パウンドはその生涯のうちでたしかに過ちは犯したが、晩年にはその過ちを深く後悔していた。それなのに、再びパウンドの亡霊を墓から引きずり出し、侮辱するようなまねはやめてほしい、そう遺族は言うのだ。
たしかに難しい問題だ。人間は自分で犯した罪にどこまで責任を持つべきか、誰にも明確なことは言えない。ましてや、今回のケースは、パウンドの生前の行為を批判する者によってではなく、パウンドに心酔する者たちのおこなっている行為によって引き起こされたことだ。「パウンドの家」を運営する者たちは、その運営の理念として、パウンド自身の言葉を語っているに過ぎない。
事態はどうも、縺れ合っているようだ。(写真は晩年のエズラ・パウンド:TIMEから)
(参考)A Poet's Legacy: As Neo-Fascists Claim Ezra Pound, His Family Says, 'Hands Off' By Stephan Faris TIME
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