山口二郎「政権交代とは何だったのか」

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山口二郎氏は日本の政治にも英米のような政権交代が実現されることを期待して、自民党に代わる政権の担い手として民主党に肩入れしてきた。その期待が実現し、2009年の総選挙で民主党が自民党を破って政権についた。

これは細川政権とは違ってかなり安定した基盤の上に立った政権であったので、日本にもやっと英米流の二大政党政治の時代が到来したかと、思わせたものである。

しかし、まだ2年半しかたっていないのに、鳩山、菅、野田と代表が次々と交代し、民主党政権は自民党政権の末期におとらず、日々の政権運営に汲々としている。代表が交代するにしたがって、選挙公約に掲げたマニフェストは次々と顧みられなくなり、選挙では争点にならなかった消費税の増税が、目下の最大の政治課題になっている始末だ。

国民は、自民党政治にノーをいうために民主党にチャンスを与えたのに、民主党はどうも、国民の意思にきちんと答えていないようだ。これはいったいどうした事情によるのだろう。

この本は、こうした問題意識から書かれたもののようである。山口氏は、基本的には社会民主主義を信奉しているらしいから、民主党には中道左派らしい政策軸に立って、政権運営をしてもらいたい、そうすればおのずと自民党との対抗軸も明確になり、長期的には日本に二大政党制が定着していくようになるはずだ、そう考えているようである。

しかし短期的にみれば、いまの日本の政治状況は非常に問題がある。国民は民主党に裏切られたと感じ、かといって自民党も許せない、いったい何を信じたらいいのかと、政治不信は高まる一方だ。

こうした傾向が、ローカル・ポピュリズムの台頭を許している。そう氏は分析する。

ローカル・ポピュリズムとは、名古屋の河村市長や大阪の橋下市長らが展開しているものだ。政治に対する国民の不満を地方レベルで吸い上げて、今のところは地域限定の運動だが、それでもかなりの政治的インパクトを発揮している。

しかし、氏によれば、こうしたローカル・ポピュリズムには非常に問題がある。どちらも指導者の個性が売り物で、政策の中身を訴えるというより、政治の現状に対する民衆の不満を煽っているだけだ。特に橋下大阪市長の手法は、働かない公務員や愛国心のない教員といった、一見わかりやすい敵を作って、それを攻撃することで、政治的なテンションをあげていく。これはデマゴーグのやり方と云うべきだ。そう断罪するわけだ。

それはともかく、民主党には悪い点もあったが、良い点もなかったわけではない、と氏はいう。たとえば福島原発への対応などは、自民党政権であったならば、今までの原発推進路線のしがらみにしばられて、どこまできちんとできたかわからなかっただろう。菅政権は、脱原発にまで言及したが、これは自民党では決して言えなかったことに違いない。もっとも、菅総理大臣の脱原発発言は、党内の総意というよりは、総理個人の思い入れにとどまってしまったという問題はあるが。

民主党の最大の誤りは、「実現の道筋についてまったく考慮することなく、高い目標を掲げ、自縄自縛に陥ったことであった・・・志を高く持つことと、無責任な夢想を振りまくことの区別をつけることも重要である」

こんわけで氏は、民主党に対して、いわば乳母のような気持ちを以て、その行く末を案じているかのようである。





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このページは、が2012年3月11日 19:08に書いたブログ記事です。

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