民主党の岡田副総理が私的に設置した「行政改革に関する懇談会(岡田行革懇)」に、野田総理大臣までのこのこ顔を出して、「行革には懸命に取り組んできたつもりだったが、国民の声はよりいっそう改革を行えというものだ」と挨拶し、行革に向けて大胆な意見を出してほしいと要望した。
この懇談会は、鈴木善幸時代に設置され、後に中曽根時代に国鉄民営化などに結実したいわゆる土光臨調に先例を仰いだものだそうだ。岡田氏らは、この懇談会のメンバーを土光臨調のメンバーになぞらえて、平成の賢人たちと持ち上げた。
しかし、賢人に持ち上げられたメンバーは、複雑な気持らしい。というのも、この懇談会は土光臨調のように法的な裏付けがあるわけではなく、また土光さんに示されたような明確なビジョンがあるわけでも無い。とにかく、国民が政府の行革努力に厳しい目をむけているから、国民を納得させられるような行革イメージを示してほしい、という虫のいい要望ばかりをいわれても、困るというわけだ。
とりわけ岡田行革懇のメンバーが危惧しているのは、自分らが野田政権の増税路線にうまいこと利用されるだけではないかということだ。野田さんの言葉にも、行革をやらないと、国民は増税を認めてくれないから云々、とある。つまり、自分たちは、増税を進めるための、行革への努力の隠れ蓑として利用されるばかりなのではないか、という不満がある。実際に、複数のメンバーは、「行革が消費増税の前提といわれるのは違和感がある」といい、「行革は30年単位、短期的な法案を通すためだけにやるのなら、失礼な話だ」といっている者もいるようだ。
確かに失礼な話だと思う。「税と社会保障の一体改革」といい、消費増税を今後の日本社会のあり方と関連付けて説明していたのは野田政権自身だし、また、増税ではなくまず行政改革によって財源をひねり出すといっていたのも、野田政権が基盤を置く民主党そのものだ。だから、岡田行革懇のメンバーでなくとも、「何が今更行革だ、とぼけたことをいうな」と誰しもが思うところだ。
それ以上に解せないのは、この懇談会が岡田副総理の私的諮問機関にとどまっているということだ。いったい副総理の私的懇談会に、どれほどの意味があるというのだ。開会式には野田さんもわざわざ顔を出して、この懇談会には総理大臣の私だって肩入れしていますよ、とのジェスチャーを示したが、それなら何故、もっとちゃんとした位置づけができなかったのか。法による裏付けを付与しなくとも、少なくとも首相の諮問機関いくらの位置づけはするべきだったのではないか。
うまくいけば政権にとっての浮揚効果に利用できるし、うまくいかなかったら、総理大臣ではなく、副総理の諮問機関だったことを理由に誤魔化してしまおう、こんな魂胆が透けて見える。
愚者の考えそうなことではある。目先の利害にとらわれていると、自分の足場を崩すことにもなろうというものだ。(写真は首相官邸提供)
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