「東電は法的処理をしておくべきだった」 こんな趣旨のことを、経済産業省電気料金審査専門委員会の安念潤司委員長がつぶやいた、と朝日のコラムが紹介しているのを読んで、やはりそうしておくべきだったのかな、と筆者も感じた次第だった。
安念氏は、東電から提出された値上げ申請について審査する立場であって、東電の原発事故責任を云々する立場にはない。まして、「東電を法的処理すべきだった」などと発言できるようないかなる公的立場にもない。それがわかっていながら、やはり言いたくなる、そんな氏の気持ちが伝わってくる。
東電は事故で生じた損害のほとんどすべてを、国民の税金と電気料金に転嫁しようとしている。それでいて、自らの事故責任を回避しようとするばかりだ。
事故が起きた原因はわたしどもにはございません、だからそのツケを政府や電力消費者に回すのは当然のことです、本来なら私どもには責任がないのですから、賠償する必要だってないのです、それをわざわざ賠償するのは、責任の有無にかかわらず賠償に当たるという原子力関連法規の趣旨に従っているだけで、なにも自分の責任を認めたからではありません。電力消費者の皆さんは、株主や債権者の責任を云々していますが、そもそも私どもにも責任がないことについて、私どもの大切な株主や債権者の責任をどうして追及できるでしょう、とんでもないことです。
そんな東電の言い分が伝わってきて、安念氏は割り切れない気持ちになったのだと思う。
筆者が、現行の賠償スキームについて、まあ仕方がないかと受け取ったのは、なによりも被害者の救済を考えてのことだった。東電を法的に処理して、その後で、足りない部分を政府が補うというやり方も当然あったのだろうが、それでは賠償が滞る恐れがあるとした政府の判断にも一理あると思ったのだった。というのも、東電を全面的に前に立てて、賠償の処理一切にあてさせるという方法では、もしかしたら被害者の救済がうまくいかないかもしれない、と思ったからだが、その背景には、直前に起きていたBPの原油漏出事故の顛末があった。この時にはアメリカ政府は事故処理の前面に立たず、何から何までBPにやらせたおかげで、被害を蒙った地元の人々が十分な補償を得られず、株主や債権者は一切責任を被ることがないという結果になっていた。当時この結果について、BPは被害者を犠牲にして株主の利益を守った優良企業だと、ウォール街やシティの絶賛を浴びたものだった。
筆者は、東電のケースについてもそんなことが起こるのを案じたからこそ、政府の主張を認めたわけだ。
ところが、東電はそれをいいことに、賠償から経営再建に必要な資金まで、税金や電力料金でまかなおうとする露骨な意図を隠さないばかりか、自分たちの免責まで仄めかすようになった。これでは近いうちに誠意ある賠償対応もサボタージュするようになりかねない、そんな危惧さえ抱かせる。
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