言うのが憚られるというか、ちょっぴり気恥ずかしというか、それでも言わせてもらうと、筆者は小さい頃に、双子の歌手として一世を風靡したザ・ピーナツの、大ファンだったのだった。彼女らの歌声は、子ども心にも、なんとなくうっとりするものがあった。彼女らは、とにかく可愛かったし、歌もうまかった。そんな彼女らが、次のような歌を歌っていた。
~チタレー、ラレ、ルンナ、お屋根のてっぺんで、恋をしちゃった、
~チンチンチンの、チンポコリンの、チンチンチンの、チンポコポン
無論こんな風に歌っていたわけではなかったはずだが、筆者の耳には、そんな風に聞こえた。この歌声が初めて流れたのは、筆者がまだ小学生だった頃だ。
何故、こんなことを急に言いだしたかというと、ザ・ピーナツの双子の姉妹のお姉さんである伊藤エミさんが亡くなった、という報道に接したからだ。享年71歳だというから、筆者よりも7歳年上だったことになる。
7歳というと、そんなにかけ離れた年齢差とは思えないかもしれない。しかし、小学生の子どもにとっては、その年齢差は、大人と子供を隔てる、絶対的な境界のように感じられたものだ。要するに、ザ・ピーナツは、自分たちとは違う大人の世界に住む大人の歌手だった。その大人の歌手が、自分たちにはわからない世界のことを歌っている。
恋をするってどういうことだろう、お屋根のてっぺんで、いったいどんなことをしたのだろう、それはチンポコと関係があるのだろうか。(チンポコのことは、自分にもついているので、良くわかっていたつもりだった)
そんなザ・ピーナツを、筆者ら当時の餓鬼どもは、ザピー・ナッツと言っていた。ザピー・ナッツの歌はすてきだよね、面白いよね、我々はそう言い合ったもんだし、ザピー・ナッツの歌声を聴きながら、大人の世界について、思いをはせたものだった。
だから筆者にとっては、ザピー・ナッツは、大人になるためのお手本のように映ったのだ。
こんなことがあったから、伊藤エミさんが亡くなったと聞いて、筆者なりに感じるところがあったというわけなのだ。
ザピー・ナッツ。
筆者と同年代の洟垂れ小僧たちは、みな、彼女らにあこがれていたものだ。(写真は共同通信から:左がエミさん)
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