芸能と演劇的世界


平家物語は、中世から近世にかけて、琵琶法師と呼ばれる盲僧たちによって、全国津々浦々に語り歩かれた。この国の口承文芸の中でも、とりわけて大きな流れをなしてきたものであり、能をはじめほかの文芸に及ぼした影響も計り知れないものがあった。また、口承の文芸というにとどまらず、読み物の形でも広く受容された。いわば、この国の民族的叙事詩ともいうべきものなのである。

浄瑠璃は、元禄の頃竹本義太夫という名手が出現し、これに近松門左衛門という天才作家が詞章(台本)を提供することで完成期を迎えた。その後18世紀半ば頃までは、日本の演劇を代表するものとして、歌舞伎などほかの芸能を圧倒する人気を誇ったのである。

浄瑠璃は、今日では文楽一座に細々と命脈をつないでいるのみだが、江戸時代においては、歌舞伎とならんで、民衆芸能の代表格であった。とりわけ、元禄の頃から十八世紀半ばにかけては、歌舞伎をしのぐ人気を誇り、人形芝居のみならず、その伴奏音楽も庶民の間に浸透した。

太宰春台がいうとおり、幸若舞の曲数はさして多くはなかったと思われるが、それでも、今日五十曲ばかりが伝えられている。それらは、幸若舞の独創にかかる創作というのではなく、ほとんどは、平家物語をはじめとした口承文芸や各地の伝説に題材をとったものであり、説経や浄瑠璃と同じようなテーマを取り上げたものである。

「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」 これは、幸若舞「敦盛」の一節、信長が桶狭間の合戦に赴くに際して、謡いかつ舞ったとされるものである。信長は、この一節に人間の転機というものを感じ取り、勇み立って出陣したといわれる。

説経がどのような節回しを以て語られていたか、説経の伝統を継ぐ者のいない今日においては、詳しく知るすべがない。謡曲や浄瑠璃など、今日においても演者が存在する芸能のうち、説経と接点を有するものを手がかりに、その実態にせまる試みがあってもよさそうであるが、いまのところそのような業績もないようなので、筆者のような門外漢には、はたと判らずじまいなのである。

愛護の若は、五説経の一つに数えられているが、ほかの四つの古い説経に比べると、体裁や内容に幾分かの相違を認めることができる。まず体裁であるが、現存するもっとも古い正本(寛文年間八太夫刊)でも、浄瑠璃と同じく六段ものになっており、この説経が比較的新しいことを物語っている。

説経「しんとく丸」は、継母の呪によって宿病に侵された者の、絶望と救済の物語である。宿病のなかでも癩病は、近年までも厳しい差別にさらされてきたのであるが、中世においては、それこそ禁忌の対象として、社会からの追放と孤立を意味した。こうした境遇に陥った主人公が、天王寺を舞台にして、女性の献身的な愛と観音の霊力によって救われるという物語である。

説経「かるかや」は、遁世者をテーマにした語り物である。遁世者とは、故あって俗界の縁を断ち切り、高野山を始めとした大寺院に身を隠すことによって、別の生を生きようとした者どもをいった。髪を剃って寺に入るといっても、僧侶になる訳ではない。寺院の片隅に身を寄せ、懺悔をすることで、それまでの因業から開放され、聖の末端に連なって、生き返ることをのみ望んだ。

いまではユニークな仮面劇で知られる横浜の劇団ボートシアターが、説経「をぐり」に題材をとって、「小栗判官照手姫」を上演したのは、1982年のことであった。その様子はテレビでも放映され、現代人の共感を勝ち取ったものだ。ボートシアター劇団は、その後もこの演目を機会あるごとに上演し、海外においても成功を収めてきたという。この成功に触発されてか、歌舞伎でも、小栗判官の物語をとりあげたほどだ。

現存する説経本のなかでも、「をぐり」は筋立てが変化に富んで、場面の展開がスピーディーであり、また登場人物の情念が生き生きと描かれてもいるので、現代人にもわかりやすく、面白い作品である。そんなことから、ボートシアターの公演や、スーパー歌舞伎にも取り上げられ、大いに成功を収めたほどだ。

説経「さんせう太夫」は、高貴の身分の者が人買いにたぶらかされて長者に売られ、奴隷として辛酸をなめた後に、出世して迫害者に復讐するという物語である。高貴のものが身を落として試練にあうという構成の上からは、一種の貴種流離譚の体裁をとっているが、物語の比重は、迫害を受けるものの悲哀と苦しみに置かれており、故なき差別や暴力への怨念に満ちたこだわりがある。

今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった。徳川時代の前半に刊行された版本が数点残っており、それが書物として流通してもいるので、わずかにそれを頼りに雰囲気の一端に触れることができるばかりである。それでも、説経というものが持っていた、怪しい情念の世界が、現代人にも激しい感動を呼び起こす。日本人の意識の底に、澱のようにたまっている情動のかたまりが、時代を超えて反響しあうからであろう。

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