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能と狂言



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2007年1月 1日

高砂:世阿弥の脇能

「高砂」は世阿弥の書いた脇能の傑作である。全編が祝祭的な雰囲気に満ちており、祝言の能として長く人びとに愛されてきた。「四海波」や「高砂や」の一節は、今でも結婚式の席上で謡われている。能に関心のない人でも、知らない者はないであろう。とにかく目出度いものなので、正月を飾るものとして最も相応しいといえる。

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2007年1月 2日

能「羽衣」(天女伝説)

能「羽衣」は、天女伝説に題材をとった作品である。天女あるいは羽衣の伝説は、日本の各地に広く分布しており、また、歴史的に見ても、古風土記に取り上げられるほど古い起源のものである。能はそのうち、三保の松原に伝わる伝説を取り上げている。世阿弥の作という説もあるが、詞章や音楽的な要素から見ると、その可能性は低い。だが、明るくあでやかな能であり、正月を飾るものとしてよく演じられる。

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2007年1月 3日

能「百萬」(嵯峨女物狂:母子の生き別れと再会)

能「百萬」は、観阿弥の作とされ、それに世阿弥が手を加えて今日の姿になったとされる。観阿弥自身は、この曲を「嵯峨女物狂」と題して、得意にしていたという。子別れと女の狂いをテーマにした作品だが、悲しさや暗さはなく、むしろ全曲が華やかな色彩感に溢れている。そのため、正月にもよく演じられる。

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2007年1月 4日

能「海人」(海士:龍女伝説と母の愛)

能「海人」は、「申楽談義」に「金春の節」とあるので、世阿弥以前の古い能のようである。当の金春流では、この作品は多武峰への奉納のために作られたと伝えているらしい。金春に限らず、大和四座と呼ばれた申楽は、多武峰への奉納を義務付けられていた。多武峰は興福寺、春日大社と並んで、藤原氏とかかわりの深いところであったから、藤原氏ゆかりの伝説を能に仕立てたのではないか。

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2007年1月 8日

観阿弥と大和猿楽(能と狂言:歴史の一齣)

世界中に現存する伝統芸能のうちでも、能は格別に古い歴史を有する。観世流の源流たる大和の結崎座が立てられたのは14世紀半ば、今熊野において催された観阿弥の猿楽が、将軍足利義満の目に留まったのは1375年のこととされているから、そこから数えても600年以上も経っている。

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2007年1月 9日

観阿弥の能

観阿弥は猿楽中興の祖であり、今日に伝わる能楽の元祖ともいうべき人物である。室町時代初期、農民層を相手に細々と興行していた猿楽を、一躍表舞台の芸能に引き上げ、また、自身いろいろな試みを通じて、その芸術性を飛躍的に高めた。その子世阿弥とともに、能楽が日本の代表的な芸能として長く栄えていくための、礎を築いたのである。

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2007年1月10日

世阿弥の夢幻能(敦盛を例にとって)

世阿弥が能楽の発展のために果たした役割には偉大なものがある。その業績は多岐にわたるが、なかでも重要なのは、複式夢幻能という様式を完成させたことだ。観阿弥以前の能楽は、観阿弥自身物真似といったように、世俗的な内容のものか、あるいは寺社の祭礼に事寄せて、鬼や神を演じるというのもであった。世阿弥の夢幻能によって、能楽は表現を深化させ、一層幽玄なものとなったのである。

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2007年1月11日

翁:能にして能にあらず

NHKテレビ恒例の新春能番組が、今年は意外にも「翁」を放送した。「意外にも」というのは、「翁」は能にして能にあらずといわれるように、通常の能楽とは異なり、筋らしい筋もなく、呪術的で単調な舞が続くのみの、どちらかというと、あまり面白くない番組だからだ。

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2007年1月12日

能「菊慈童」(枕慈童:邯鄲の枕の夢)

菊慈童は、菊花の咲き乱れる神仙境を舞台に、菊の花のめでたさと、その菊が水に滴り不老不死の薬になった由来を語り、永遠の美少年の長寿を寿ぐ曲である。リズミカルな謡に乗って、美少年が演ずる舞は、軽快で颯爽としており、この曲を魅力あるものにしている。華やかな舞尽くしの能である。

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2007年1月20日

能「屋島」(世阿弥の勝修羅物:平家物語)

能「屋島」は、世阿弥の書いた修羅能の傑作である。世阿弥は三番目物と同じく、修羅物も得意とし、他に、通盛、敦盛、清経などの傑作を作っている。その中で屋島は、源平合戦における義経の勇敢な戦いぶりを描いたもので、勝修羅と呼ばれる。田村、箙とならんで三大勝修羅とされ、徳川時代には武家たちにことのほか喜ばれた。

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2007年1月21日

能「融」(世阿弥の幽玄能)

能「融」は世阿弥の傑作の一つである。歴史上の人物源融が作ったという六条河原院を舞台に、人間の栄光と時の移り変わりを、しみじみと謡い語る。筋らしい筋はないが、月光を背景にして、静かに進行する舞台は、幽玄な能の一つの到達点をなしている。だがそれだけに、初めて能を見る人は退屈するかもしれない。

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2007年1月27日

能「熊野」(春の花見)

能「熊野(ゆや)」は、花見遊山をテーマにした、春の気配溢れる逸品である。「熊野松風に米の飯」といわれ、古来能の名曲とされてきた。今でも人気の高い曲で、能役者にとってもやりがいのある曲だそうだ。謡曲としても人気がある。松風が秋の能の代表作とすれば、熊野は春の能の代表作だといえよう。

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2007年2月 3日

能「小鍛冶」(三条宗近と稲荷霊験譚)

能「小鍛冶」は祝言性の高い切能の傑作である。わかりやすい筋書きに沿って、動きのある舞が華やかな舞台効果を作り上げる。囃子方と謡も軽快でリズミカルだ。全曲を通じて観客を飽きさせることがなく、現在でも人気曲の一つとなっている。始めて能を見る人でも十分に楽しめ、それだけに上演頻度も高い。

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2007年2月10日

能「田村」(坂上田村麻呂と清水寺縁起)

能「田村」は、坂上田村麻呂を主人公にして、清水寺創建の縁起物語と田村麻呂の蝦夷征伐を描いた作品である。観音の霊力によって敵を蹴散らす武将の勇猛さがテーマとなっており、明るく祝祭的な雰囲気に満ちた作品である。屋島、箙とともに、三大勝修羅とされ、祝言の能としても演じられてきた。

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2007年2月17日

能「国栖」(壬申の乱と天武天皇)

能「国栖」は、壬申の乱に題材をとった物語性豊かな作品である。壬申の乱自体、古代の王権を巡る戦いとしてドラマ性を帯びた事件であったが、ことが王権にかかわるだけに憚り多いうちにも、この作品はその辺の事情を踏まえて、演劇的な構成に纏め上げられている。現代人にもわかりやすく、人気のある能の一つである。

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2007年2月23日

能「姨捨」(姨捨山伝説と大和物語)

信濃の更科は古来月見の名所だったらしい。これに何故か姨捨の悲しい話が結びついて、姨捨山伝説が出来上がった。大和物語に取り上げられているから、平安時代の前半には、人口に膾炙していたのだろう。今昔物語集も改めて取り上げている。能「姨捨」は、この説話を基にして、老女と月とを情緒豊かに描いたものである。

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2007年3月 2日

能「蝉丸」:蝉丸神社と芸能民のつながり

能「蝉丸」の創作経緯にはわからぬことが多い。猿楽談義に「逆髪の能」として出てくるものが、「蝉丸」の原型であっという説がある。現行曲の「蝉丸」も、シテは逆髪になっているから、蓋然性は高い。そうだとすれば世阿弥以前からあった古い能ということになる。

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2007年3月 9日

弱法師:盲目の乞食と四天王寺

能「弱法師(よろぼし)」は、難波の四天王寺を舞台にして、盲目の乞食俊徳丸と、故あって俊徳丸を捨てた父親との、再会と和解を描いた作品である。

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2007年3月16日

狂言の歴史

狂言は歴史的には能とともに歩んできた。現在では、能と狂言を合わせて能楽と呼び習わしているが、そう称されるようになったのは明治時代以降のことで、徳川時代以前には申楽と呼ばれていた。明治政府が外国人をもてなす演目として申楽を選んだ際、名称が風雅に欠けるというので、能楽の字をあてたのである。

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2007年3月18日

能、謡曲への誘い

能は日本人が世界に誇りうる古典芸能である。既に14世紀には完成の域に達していたから、600年以上もの歴史を有する。

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2007年3月23日

狂言の諸流派と狂言台本

現在狂言界で活躍している家は、大きく分けて大蔵流の山本派、茂山派、和泉流の三宅派、名古屋派である。二流四派ともいわれる。

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2007年4月 7日

能「経政」(夢幻の中の管弦講:平家物語)

能「経政」は小品ながら良くまとまった作品である。他の修羅能のように複式夢幻能の体裁をとらず、一場で構成されている。動きは少なく、筋も単純だが、音楽的要素に富み、幻想的な雰囲気に溢れているので、観客を飽きさせることはない。作者は不詳、平家物語巻七に題材をとったと思われる。

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2007年4月13日

能「道成寺」:安珍と清姫伝説

能「道成寺」は現行の能の中でも大曲の部類に入り、また位の高い作品として扱われている。静と動のコントラストが激しく、また鐘の作り物など、舞台の演出も派手で、緊迫感に溢れた作品であるが、演じ方がまずいと散漫に流れ、観客をいらいらさせたりしかねない。能楽師にとってはむつかしい作品とされ、したがって一定の成熟を経た節目の時期に始めて演ぜられる。

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2007年4月21日

能「合甫」:動物(魚類)報恩譚

能「合甫(かっぽ)」は、漁師に釣られた魚が通りがかりの者に助けられ、そのお礼に宝を差し上げるという内容の、一種の動物報恩譚である。中国を舞台にしているが、出典は不明。小品ながら、さわやかな印象の作品である。

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2007年4月27日

狂言「蝸牛」:誤解の喜劇

狂言「蝸牛」は理屈抜きに楽しめる作品である。山伏がシテを勤めるので演目上は「山伏物」に分類されるが、太郎冠者のとぼけぶりとあいまって、初めて作品としての面白さが発揮される。筋はごく単純なものだが、当意即妙のやり取りと、山伏の踊りがなんとも言えず滑稽であり、観客を引き込んでやまない。狂言の中でも、祝祭性に富んだ作品であるといえる。

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2007年5月 4日

能「花月」:喝食の芸づくし

能「花月」は喝食の美少年に芸づくしを演じさせるというもので、小品ながら変化に富み、祝祭的な雰囲気に満ちた華やかな能である。

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2007年5月11日

能「鞍馬天狗」:牛若丸と大天狗

能「鞍馬天狗」は、牛若丸が沙那王といった幼年時代を題材にして、大天狗が沙那王に武術を教え、平家を倒し源氏の再興を期するという内容の物語である。桜の季節を背景に、シテ(天狗)と子方(沙那王)がやりとりする光景は、色気を感じさせるものであり、これを男色の能と見る見方もある。

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2007年5月18日

能「野守」:歌物語と鬼

能「野守」は、大和国春日野に伝わる伝承をもとに、世阿弥が書いたものと思われている。鬼の能であるが、和歌をテーマにして上品な体裁になっている。

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2007年5月25日

狂言「棒縛り」:狂言記より

狂言記は徳川時代の初期に刊行された狂言の絵入台本集である。万治3年(1660)に正篇、元禄13年(1700)に外篇と続篇、享保5年(1730)に拾遺篇が刊行されている。それぞれ50曲づつ、計200曲からなる。

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2007年6月 2日

能「富士太鼓」:夫の仇討ち

富士太鼓は、太鼓を巡る芸道の執念を描いた作品である。テーマは二つあり、ひとつは富士と浅間に名を借りた芸人同士の争い、ひとつは討たれた夫の敵討ちをする妻と子の悲しみである。

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2007年11月15日

小袖曽我:曽我兄弟、母との別れ

能「小袖曽我」は、曽我ものと呼ばれる一連の作品の中でもっとも人気の高い曲である。観世流謡曲では初級謡本の中に収められているから、謡ったことのある人も多いだろう。

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2008年1月 7日

能「泰山府君」:桜の命と道教の神

能「泰山府君」は、桜花爛漫の季節を舞台に、万物の生命を司るとされた道教の神泰山府君に、桜の命を永らえさせてもらおうという願いを歌い上げた曲である。これに天女が桜の枝を折るという趣向が付け加わり、話の筋に変化が生じている。後段では泰山府君が勇壮な舞働きを、天女が優雅な舞を舞い、小品ながら華やかで見ごたえのある作品である。

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2008年2月 2日

能「芭蕉」:金春善竹の草木成仏譚

能「芭蕉」は芭蕉の精を主人公にし、その成仏を主題にした珍しい作品である。能にはほかに、梅、藤、桜(西行桜)、柳(遊行柳)など草木の精を主人公にした作品があり、かつては人間以外のものを取り上げていることから5番目に分類されていた時期もあったが、現在ではいづれも3番目に数えられている。

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2008年4月 9日

能「隅田川」:梅若伝説

今年も東京の桜は三月のうちに満開になって早くも散り始め、子どもの入学式までもたなかった。桜の咲く季節には決まって演ぜられる能の曲目があるが、それらも今年は葉桜を見ながら観劇することになりそうだ。

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2008年7月 5日

能「蟻通」:紀貫之と蟻通明神

能「蟻通」は、蟻通明神の縁起談に紀貫之の歌をからませ、もの咎めで有名な蟻通明神の怒りを和歌の徳によってなだめるという趣旨の物語である。

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2008年7月 9日

大仏供養:悪七兵衛景清の弔い合戦

能「大仏供養」は平家の武将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていない。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。

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2008年9月26日

能「巴」:巴御前と木曽義仲

能「巴」は巴御前と木曽義仲の悲しい死に別れを描いた作品である。分類上は修羅者に入れられるが、通常の修羅者とは趣を異にしている。

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2009年3月21日

能「橋弁慶」:五条の橋の義経と弁慶

能「橋弁慶」は「安宅」や「船弁慶」とともに、義経・弁慶伝説に題材をとった作品である。通常の伝説では、五条の橋に夜な夜な現れて人を切るのは弁慶のほうであり、それを義経が退治したことが機縁になって、二人は主従として結ばれる。しかしこの話では役どころが逆転している。つまり五条の橋で人を切るのは義経ということになっており、それを弁慶が退治しに行くのである。

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2009年4月 3日

能「井筒」:在原業平と紀有常の娘

能「井筒」は世阿弥の幽玄能の傑作で、世阿弥自身自信作と考えていたことが「申楽談義」のなかにもある。筋らしいものはなく、全曲がゆったりと進んでいくが、秋の古寺の趣と女の清純な恋情とがしっとりと伝わってくる。

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2009年4月25日

能「西行桜」

能「西行桜」は世阿弥の傑作のひとつである。西行の歌に着想を得て、歌人と花の精との即妙なやりとりを描きながら、桜の花の持つ濃艶な雰囲気をかもし出している。

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