能と狂言


NHKテレビ恒例の新春能番組が、今年は意外にも「翁」を放送した。「意外にも」というのは、「翁」は能にして能にあらずといわれるように、通常の能楽とは異なり、筋らしい筋もなく、呪術的で単調な舞が続くのみの、どちらかというと、あまり面白くない番組だからだ。

世阿弥が能楽の発展のために果たした役割には偉大なものがある。その業績は多岐にわたるが、なかでも重要なのは、複式夢幻能という様式を完成させたことだ。観阿弥以前の能楽は、観阿弥自身物真似といったように、世俗的な内容のものか、あるいは寺社の祭礼に事寄せて、鬼や神を演じるというのもであった。世阿弥の夢幻能によって、能楽は表現を深化させ、一層幽玄なものとなったのである。

観阿弥の能

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観阿弥は猿楽中興の祖であり、今日に伝わる能楽の元祖ともいうべき人物である。室町時代初期、農民層を相手に細々と興行していた猿楽を、一躍表舞台の芸能に引き上げ、また、自身いろいろな試みを通じて、その芸術性を飛躍的に高めた。その子世阿弥とともに、能楽が日本の代表的な芸能として長く栄えていくための、礎を築いたのである。

世界中に現存する伝統芸能のうちでも、能は格別に古い歴史を有する。観世流の源流たる大和の結崎座が立てられたのは14世紀半ば、今熊野において催された観阿弥の猿楽が、将軍足利義満の目に留まったのは1375年のこととされているから、そこから数えても600年以上も経っている。

能「海人」は、「申楽談義」に「金春の節」とあるので、世阿弥以前の古い能のようである。当の金春流では、この作品は多武峰への奉納のために作られたと伝えているらしい。金春に限らず、大和四座と呼ばれた申楽は、多武峰への奉納を義務付けられていた。多武峰は興福寺、春日大社と並んで、藤原氏とかかわりの深いところであったから、藤原氏ゆかりの伝説を能に仕立てたのではないか。

能「百萬」は、観阿弥の作とされ、それに世阿弥が手を加えて今日の姿になったとされる。観阿弥自身は、この曲を「嵯峨女物狂」と題して、得意にしていたという。子別れと女の狂いをテーマにした作品だが、悲しさや暗さはなく、むしろ全曲が華やかな色彩感に溢れている。そのため、正月にもよく演じられる。

能「羽衣」は、天女伝説に題材をとった作品である。天女あるいは羽衣の伝説は、日本の各地に広く分布しており、また、歴史的に見ても、古風土記に取り上げられるほど古い起源のものである。能はそのうち、三保の松原に伝わる伝説を取り上げている。世阿弥の作という説もあるが、詞章や音楽的な要素から見ると、その可能性は低い。だが、明るくあでやかな能であり、正月を飾るものとしてよく演じられる。

「高砂」は世阿弥の書いた脇能の傑作である。全編が祝祭的な雰囲気に満ちており、祝言の能として長く人びとに愛されてきた。「四海波」や「高砂や」の一節は、今でも結婚式の席上で謡われている。能に関心のない人でも、知らない者はないであろう。とにかく目出度いものなので、正月を飾るものとして最も相応しいといえる。

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