メイン

万葉集を読む



Page :  1 | 2 | 3 | 4 |All pages

2007年01月22日

万葉の世紀(万葉集と大伴家持)

若い頃から折に触れて読み親しんできた万葉集。様々な注釈書の世話になったが、筆者が最も参考にしたのは、齋藤茂吉と北山茂夫だった。茂吉には鑑賞のコツのようなものを学んだ。北山茂夫は本業が歴史学者だけあって、万葉人の群像を古代史の文脈の中でとらえており、個々の歌を歴史的な背景に関連付けながら読み直している。そこが得がたい魅力にうつった。

続きを読む "万葉の世紀(万葉集と大伴家持)" »

2007年01月23日

宮廷歌人柿本人麻呂(万葉集を読む)

柿本人麻呂は、いうまでもなく万葉の時代を代表する歌人であり、日本の文学史を画する偉大な詩人である。人麻呂によって、歌の様式としての長歌が完成したことはさておき、人麻呂は、相聞的叙景歌というものに磨きをかけることによって、和歌というものの表現の可能性を最大限に引き出した。このことによって、和歌は我が国の言葉の芸術の、核ともなり心ともなった。

続きを読む "宮廷歌人柿本人麻呂(万葉集を読む)" »

2007年01月24日

柿本人麻呂の儀礼的挽歌(万葉集を読む)

万葉集巻二「挽歌」の部には、柿本人麻呂の挽歌数編が収められている。そのうち、皇族の死を悼んで作られたものが四篇あるが、それらは、宮廷歌人としての人麻呂が、宮廷儀礼のために、命じられて作ったものと思われる。人麻呂のほかの挽歌に比べると、格調が高く、荘重な雰囲気に満ちている。

続きを読む "柿本人麻呂の儀礼的挽歌(万葉集を読む)" »

2007年01月25日

柿本人麻呂:泣血哀慟の歌(万葉集を読む)

万葉集巻二挽歌の部に、「柿本朝臣人麻呂妻死し後泣血哀慟して作る歌二首」が収められている。その最初の歌は、人麻呂が若い頃に、通い妻として通った女人の死を悼んだものとされている。この歌には、愛する人を失った悲しみが、飾り気なく歌われており、その悲しみの情は、21世紀に生きる我々日本人にも、ひしひしと伝わってくる。

続きを読む "柿本人麻呂:泣血哀慟の歌(万葉集を読む)" »

2007年01月26日

柿本人麻呂:妻の死を悼む歌(万葉集を読む)

万葉集巻二にある柿本人麻呂の「泣血哀慟の歌二首」は、かつては同じ人の死を悼んだ歌とされていた。しかし、よく読むと、そこには根本的な違いがある。一首目はロマンに満ちた歌であるのに対して、二首目はかなり現実的な調子なのである。しかも、一首目の妻は通い妻であったのに対し、二首目の妻とは同居していた。

続きを読む "柿本人麻呂:妻の死を悼む歌(万葉集を読む)" »

2007年01月29日

柿本人麻呂:覊旅の歌(万葉集を読む)

万葉集巻三雑歌の部に、柿本人麻呂の覊旅の歌八首が並べて掲げられている。人麻呂が難波から西に向かう旅の途中に歌ったものもあり、逆に西から京へ帰る途中のものもある。いづれも瀬戸内海をゆく船旅の途上詠まれたものと思われる。

続きを読む "柿本人麻呂:覊旅の歌(万葉集を読む)" »

2007年01月30日

柿本人麻呂:別れに臨んで妻を恋ふる歌

柿本人麻呂は、晩年、石見の国の国司として赴任し、そこで土地の女性と結ばれた。女性の名を依羅娘子という。人麻呂が、後に死に臨んで辞世の歌を詠んだのはこの女性に向けてであり、女性もまた、人麻呂の死後に、その死を悼む歌を残している。

続きを読む "柿本人麻呂:別れに臨んで妻を恋ふる歌" »

2007年01月31日

柿本人麻呂歌集の相聞叙景歌(万葉集を読む)

万葉集には、柿本人麻呂作と明記されたもの、長歌十九首、短歌七十五首のほか、柿本人麻呂歌集から採られたものが、三百六十首ばかりある。人麻呂歌集中の作品は、人麻呂が自らの作家ノートとして作っていたもののなかから、万葉集の編者が取り上げたのだと考えられている。

続きを読む "柿本人麻呂歌集の相聞叙景歌(万葉集を読む)" »

2007年02月01日

柿本人麻呂の死:人麻呂火葬説(万葉集を読む)

柿本人麻呂の死については、わからぬことが多い。もっともおだやかな見方としては、任地の石見において、下級官僚のまま死んだのではないかとする斉藤茂吉の説がある。茂吉は、考証を進めた結果、続日本紀にある記録を元に、慶雲四年(707)、石見の国をおそった疫病の犠牲になったのではないかと推論した。人麻呂四十代半ばのことである。

続きを読む "柿本人麻呂の死:人麻呂火葬説(万葉集を読む)" »

2007年02月03日

額田王恋の歌:万葉集を読む

額田王は、万葉の女性歌人のなかでもひときわ光芒を放つ存在である。ただに女性らしき繊細さに溢れていたというにとどまらない。相聞歌における率直な感情の表出は、斬新なものであったし、また、当時はやりつつあった漢詩に対抗して、和歌にも叙景などの新しい要素を盛り込み、歌の世界を広げたともいわれる。北山茂夫は、彼女を評して、万葉の世紀の初期を代表する歌人であり、人麻呂、赤人へとつながる流れを用意したともいっている。

続きを読む "額田王恋の歌:万葉集を読む" »

2007年02月05日

山部赤人の宮廷儀礼歌(万葉集を読む)

山部赤人は、柿本人麻呂とともに万葉を代表する大歌人である。大伴家持に「山柿の門」という言葉があるが、これは人麻呂、赤人を以て万葉を象徴させた言葉だとされる。古今集の序にも、「人麻呂は赤人が上にたたむこと固く、赤人は人麻呂が下にたたむことかたくなむありける」と、赤人は人麻呂と並んで高く評価されている。とくにその叙景歌は、後の時代の人々に大きな影響を与え続けてきた。

続きを読む "山部赤人の宮廷儀礼歌(万葉集を読む)" »

2007年02月06日

山部赤人:旅の歌(万葉集を読む)

山部赤人にも、柿本人麻呂同様旅を歌った長歌がある。おそらく、人麻呂と同じく官人としての立場で、地方の国衙に赴任する途中の歌と思われる。それも、上級の役人としてではなく、中級以下の役職だったのだろう。赤人は、儀礼歌の作者として宮廷の内外に知られていたから、旅にして作った歌も、それらの人々に喜ばれたに違いない。

続きを読む "山部赤人:旅の歌(万葉集を読む)" »

2007年02月07日

山部赤人:富士を詠む(万葉集を読む)

山部赤人には、富士の高嶺を詠んだ歌がある。特に短歌のほうは、赤人の代表作の一つとして、今でも口ずさまれている。おおらかで、のびのびとした詠い方が、人びとを魅了する。万葉集の歌の中でも、もっとも優れたものの一つだろう。

続きを読む "山部赤人:富士を詠む(万葉集を読む)" »

2007年02月08日

山部赤人の叙景歌(万葉集を読む)

山部赤人は、儀礼歌を中心にして多くの長歌を書いた。それらの歌は、人麻呂の儀礼的長歌と比べると、荘重さというよりは、叙景の中に人間的な感情を詠みこんだものが多かった。そして、この叙景という点では、赤人の本領は短歌において、いっそう良く発揮された。赤人は、人麻呂の時代と家持の時代を橋渡しする過渡期の歌人として、短歌を豊かな表現手段に高めた人だったといえる。

続きを読む "山部赤人の叙景歌(万葉集を読む)" »

2007年02月09日

山部赤人:恋の歌(万葉集を読む)

山部赤人には、恋の歌もいくつかある。それらの歌が、誰にあてて書かれたものかはわからないが、中には相聞のやりとりの歌も混じっていて、色めかしい雰囲気の歌ばかりである。赤人は、叙景の中に人間のぬくもりを詠みこむことに長けていたと同時に、人間の心のときめきを表現することにもぬきんでていた。

続きを読む "山部赤人:恋の歌(万葉集を読む)" »

2007年02月12日

真間の手児奈伝説:山部赤人と高橋虫麻呂

万葉集巻三に、山部赤人が葛飾の真間の手古奈伝説に感興を覚えて詠んだ歌がある。手古奈はうら若い乙女であったが、自分を求めて二人の男が争うのを見て、罪の深さを感じたか、自ら命をたったという伝説である。赤人は、鄙の地にかかる悲しい話が伝わっているのに接して、哀れみの情を覚え、歌にしたものと思える。

続きを読む "真間の手児奈伝説:山部赤人と高橋虫麻呂" »

2007年02月13日

笠金村:もう一人の宮廷歌人(万葉集を読む)

笠金村は、山部赤人とほぼ同時代か、あるいはやや先立つ世代の宮廷歌人である。赤人と同じように、柿本人麻呂に続く宮廷歌人として、元正、聖武両天皇の時代に儀礼的な歌を作った。その歌には、人麻呂に見られたような神話的な悠久さは薄まりつつあったが、それでもなお、天武持統両天皇の時代に確立した、古代王朝の泰平の響きがこだまのように反映してもいる。

続きを読む "笠金村:もう一人の宮廷歌人(万葉集を読む)" »

2007年02月14日

笠金村:遣唐使に贈る歌(万葉集を読む)

笠金村に、遣唐使に贈った歌がある。天平五年(733)年の作である。隋が滅びて唐になって以来、中国への朝貢の使節は遣唐使と名を変え、舒明天皇の二年(630)を第一回目として、天平五年には第十回目の遣唐使が派遣された。船団は竜骨をもちいない粗末な箱船四隻からなり、難波津から出発して瀬戸内海を進み、博多の津から玄界灘へと消えていった。

続きを読む "笠金村:遣唐使に贈る歌(万葉集を読む)" »

2007年02月19日

山上億良:その生涯と貧窮問答歌

山上億良は、人麻呂、赤人を中心に花開いた万葉の世界にあって、他の誰にも見られない独特の歌を歌い続けた。億良は人麻呂のように儀礼的な歌を歌わず、赤人のように叙景的な歌をも歌わなかった。また、万葉人がそれぞれに心をこめた相聞の歌も歌わなかった。彼が歌ったのは、世の中の貧しい人たちの溜息であり、子を思う気持であり、老残の身の苦しさであった。

続きを読む "山上億良:その生涯と貧窮問答歌" »

2007年02月20日

山上憶良:子を思う歌(万葉集を読む)

万葉集の歌の世界には、人麻呂、赤人を筆頭にして、男女の愛を歌った相聞の歌が数限りもなくある。だが山上憶良は、他者のための挽歌は別にして、男女の愛を歌うことはなかった。そのかわりに億良は、子どもを思う歌を作ったのである。

続きを読む "山上憶良:子を思う歌(万葉集を読む)" »

Page :  1 | 2 | 3 | 4 |All pages



ブログ作者: 壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2006