日本文学覚書


「ハードボイルド・ワンダーランド」と並行して語られる「世界の終り」の物語は、「ハードボイルド・ワンダーランド」が現実の表層意識の中で展開される物語なのに対して、人工的な意識体が紡ぎ出した物語だ。わかりづらい言い方だが、要するに誰かによって作られた物語だ。作られた限りで創作品であるのに、それが創作品であることを逸脱して、実在性を主張する、そんなメチャクチャな次元性を帯びた物語なのだ。

ハードボイルド・ワンダーランドには、太った女の子のほかにもうひとり、名前のない女の子が現れる。図書館員の女の子だ。彼女は年齢が29歳になり、結婚したこともあることが明らかにされるが、主人公は彼女を常に「女の子」と呼ぶ。このことはもしかしたら、女性に対する差別意識の表れではないか、こんな風に受け取られる危険につながるかもしれない。それでも村上は、女性たちを名前で呼ばず、単に「女の子」と呼び続けるのだ。

ハードボイルド・ワンダーランドには主人公「私」の同伴者として「太った娘」が出てくる。彼女はまだ17歳で、子どもと大人の中間の段階にある未成熟な女性だ。だから私にとって性愛の対象にはならない。その点で、「ダンス、ダンス、ダンス」の中に出てくる霊感少女ユキと似ているところがある。だがユキがまだ13歳でほんとの子どもなのに対して、この太った娘は17歳で大人っぽい一面も持っている。彼女はしきりに私とのセックス願望をほのめかすのだ。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という奇妙なタイトルを持った村上春樹のこの小説は、ふたつの独立した物語が交互に進行するという体裁をとっている。「ハードボイルド・ワンダーランド」では、タイトル通りSF的な冒険が展開され、「世界の終わり」では、自分の影を失うことで心まで失っていく男の物語が進行していく。

オイディプスが受けた予言は父親を殺し、母親と交わるというものだったが、「海辺のカフカ」の少年にはこれに加えて、姉を犯すという予言が下されていた。

村上春樹の小説「海辺のカフカ」は母子相姦という重いテーマを扱っている。村上が何故こんなテーマを持ち込んだのか、筆者などには忖度できないが、少なくとも文面からはあまり陰鬱なイメージは受けない。それより自然にそうなったという印象さえ受ける。

村上春樹の小説「海辺のカフカ」には、トランスジェンダーの人物が出てくる。女性として生まれてきて、男性として振舞うようになった「大島さん」だ。だが大島さんは、普通に見られるトランスジェンダーとはちょっと異なった雰囲気を持っている。というより、トランスジェンダーとしては、かなりあいまいなところがある。

「海辺のカフカ」はいろいろな意味で、村上春樹の創作にとって画期をなすものだ。それはとりわけ小説の複雑な構成とか手ごたえのあるテーマを追求していることに現れている。それと並んで文体の面でも、以前の作品とは比較にならないほど深い陰影を作り出している。

「海辺のカフカ」は村上春樹の名を国際的なものにする上で決定的な役割を果たした作品だ。この作品には「フランツ・カフカ」賞が贈られたが、その賞はノーベル賞につながるものだといわれている。村上はこの作品によって、世界規模での大作家となったわけなのだ。

村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の中で、僕が赤坂警察署の刑事に尋問される場面が出てくる。それを読むと筆者などは、この人は警察が嫌いなのかなと思ってしまう。嫌いという言い方がきつすぎれば、好きでない、あるいは好意を感じていないと言い換えてもよい。

村上春樹の初期の作品にはセックスシーンが多く出てくる。それらは村上にとって、作品に艶を添えるための小道具のような感覚で挿入されている。初期の作風の集大成ともいうべき「ダンス、ダンス、ダンス」の中でも、村上は主人公に何人かの女性とセックスをさせている。その中で最も印象的なセックスパートナーは高級娼婦のメイだ。

村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の主人公僕にとって、五反田君は特別な位置づけを持つ友人だ。彼はまず、僕の中学生時代の同級生だった。その頃から五反田君は誰からも愛される目立つ存在だった。一方僕の方は目立つのを嫌う少年で、いつも五反田君の影に隠れていた。

村上春樹さんがカタルーニャ国際賞の授賞式で読み上げたスピーチ原稿を読んだ。全面的にというわけではないが多くの部分で共感するところがあり、聊か感銘を受けた。

村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の登場人物の中で、主人公の僕と並んで重要な役割を果たしているのは、13歳の少女ユキだ。彼女はまだ大人ではないが、かといって無邪気な子供でもない。体つきは子供だが、考えることは大人に近い。周囲のことにほとんど関心を払わず、そのため人間らしい表情の豊かさがない。こんな少女が、主人公の僕に運命的な役目を果たしてくれる。彼女は霊感能力を持っていて、それでもって主人公に運命の謎を解き明かしてくれるというわけなのだ。

村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」は「羊をめぐる冒険」の後日譚ということになっている。それ故形式上は「風の歌を聴け」に始まる青春三部作の続編という形だが、内容や雰囲気は大分異なっている。間に「ノルウェーの森」を挟み、いろいろな面で村上の作家としての力量が大きくなってきたことを物語っているのだろう。

作家には癖というものがあって、それは物語の進行をスムースに運ばせるための小道具の使い方によく表れる。村上春樹という作家にとって、彼一流の小道具は、ビールとタバコとセックスだ。

村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」は「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」とともに三部作をなすものだ。村上が職業小説家として初めて執筆した長編小説でもある。前の二作の延長線上の話として設定されているが、前の二作ほど凝集力がないのは、構成が長くなったことの結果かどうか、筆者には判断がつかないが、聊か冗長であるとの印象は逃れないと思う。

村上春樹の小説「1973年のピンボール」に出てくるピンボールマシンは特別の存在だ。それはただの遊戯機械ではない。主人公の僕にとって、自分の青春がそのまま詰まっている。僕がそれにコインを突っ込み、レバーを引っ張ると、ただ単にボールが転がってフリッパーが跳ね上がるといった物理的なプロセスが展開されるだけではない。そこには同時に自分の人生が展開される。僕はこのゲームを通じて擬似人生を生きることができるのだ。

村上春樹の中編小説「1973年のピンボール」は、彼の処女作「風の歌を聴け」の続編と云える作品である。前作で設定されていた時点から四―五年後の時点における、それぞれの人物の後日談といった体裁のものだ。

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」は、デレク・ハートフィールドという謎の作家を紹介することから始まる。

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