日本文学覚書


川本三郎氏といえば荷風の大ファンとして知られている。大著「荷風と東京」は、氏の荷風への思い入れがぎっしりと詰まった労作で、荷風という人物像に新しい光を当てるとともに、荷風が生きた東京について、素晴らしい情報を提供してくれる。この本は一時記大流行した「東京論」ブームに火をつける役割を果たしたのだった。

スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー(Great Gatsby)」を、村上春樹の日本語訳で読んだ。今から30年ほども前に英語の原作を読んだことがあるが、改めて村上春樹の翻訳を読む気になったのは、「ノルウェーの森」で展開された青春小説の作者が、「ザ・キャチャー・イン・ザ・ライ」とともに「グレート・ギャツビー」も訳していると知り、いったいどんな風に訳しているのか、俄然興味を覚えたからだ。

ノルウェイの森の主人公「僕」には二人の女性が重要な役回りで出てくる。直子と緑だ。直子の方が陰だとすれば緑は陽、陰陽の対立のような形で僕の青春を彩る。

直子が入った精神病院には、レイコさんという風変わりな女性が入院していた。彼女はなにかにつけて直子の世話をし、直子の心のよりどころにもなっていた。そのレイコさんとはレズビアンなのだ。

「ノルウェイの森」を作者の村上春樹は「100パーセント恋愛小説」といっているが、筆者はこれを「青春小説」として読んだ。変った語り口で読者に語りかけてくる一人称形式の物語の進行が、「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」を思い起こさせたし、少年から青年へともがきながら成長していく過程がこの小説の最大のテーマだろうと感じたからだ。

草野心平の詩集「マンモスの牙」には、雑多なテーマのさまざまな詩が共存しているが、その中にひときわ調子のよいものがある。「施餓鬼」と題するものだ。言葉の調子に乗って、ついつい歌いたくなる。

昭和41年に刊行された草野心平の詩集「マンモスの牙」は、それ以前の十数年の間に草野が詠んだ詩のうちカエルと富士山に関するもの以外を集めたと、草野自身書いているように、雑多なテーマからなっている。だがそれらは戦後における草野の詩業の集大成とも言えるものだから、ひとつひとつにそれなりの迫力がこもっている。

詩集「天」のあとがき「天に就いて」の中で、草野心平は次のように書いている。「私がいままで書いた作品の約70パーセントに天が出てくる。或ひは空とか星雲とか天体の様々な現象が。」

富士山は劫初のときから、巨大な生き物のようにどっしりとすわっているものであるが、またその意味では人間のちっぽけな生命とは正反対な雄大さをかんじさせるものではあるが、時には見る人の近くに寄り添って現れることもある。

草野の歌う富士山は、どっしりとたしかな存在感を感じさせる。それは巨大な肉体のようだ。ただそこに静かに横たわっているばかりではなく、幾億年の時空を貫いてうごめいている。

富士はカエルとともに、草野心平が愛したものだ。蛙が草野の分身だとしたら、富士は草野の理想が投影したものだといえる。

草野心平の詩集「日本砂漠」は、草野が戦後日本に戻ってきてはじめて出した詩集である。草野は戦時中南京政府のために働いていたのだが、日本が負けるとすべての財産を取り上げられて無一文になってしまった。だが南京政府の一員であったにかかわらず、身柄は無事を得て、終戦の翌年日本に戻ってくることができた。

草野心平の詩集「絶景」のうちでもっとも有名になったのは「猛烈な天」という詩だ。天は、カエルを超越した草野にとって、富士と並んでライトモチーフになったものだ。草野はこれらのモチーフを繰り返し歌っている。その最も早い時期の傑作がこの「猛烈な天」である。

草野心平の詩集「絶景」には、それ以前の草野の詩に特徴的であったダイナミックなリズムに満ちた詩とは正反対に、静的で抑制の効いた作品が多い。また社会に対する怒りや、アナーキスティックな感情の吐露は影を鎮めて、自然と一体になった心の緩やかな動きを歌ったものが多い。

草野心平の詩集「絶景」は「母岩」から4年後の昭和15年に刊行された。「第百階級」に始まり「明日は天気だ」を経て「母岩」で結晶した心平の初期の詩風は、この「絶景」において大きな転換をしたと評価されている。所期の心平の詩に見られたアナーキスティックな荒々しさが、この詩集では見られなくなり、静的な雰囲気を基調にして、精神の統一を感じさせるようなものに変化している。

草野心平の詩集「母岩」に収められた詩の多くは暗いタッチのものだと、先に書いた。その中で巻末の「春」という詩は、題名どおり生命の豊かさを歌った明るい詩だ。

「第百階級」の一連の詩の中で、草野心平はカエルに自分を託してアナーキスティックな叫びを立てていた。それが「明日は天気だ」になると、カエルは一匹も出てこなくなり、叫び声は草野という人間の個人の声として響くようになる。その声にもアナーキスティックな調べは聞かれたが、カエルの声がかもし出すコスミックな感覚はずっと弱まり、生きる一人の人間のトリヴィアルな感情がまとわりつくようになる。

草野心平が若い頃に歌った蛙たちはみな、生存への荒々しい欲望のうちに生きていた。だが詩人の成長とともに蛙たちの歌声も次第にトーンを変え、言葉にも深みを帯びるようになる。

ごびらっふとはなにものか。一匹の蛙の名前だ。その蛙とはなにものだ。草野心平という名の変わった日本人の詩人のことだ。蛙としての草野心平という名の変わった日本人の詩人が蛙の言葉でしゃべる。それは日本語に翻訳可能な言葉なのだ。

草野心平は「蛙の詩人」と呼ばれることを必ずしも喜んではいなかったようだが、蛙を歌った詩集を生涯に4冊も出しているところからしても、蛙にこだわり続けていたことは間違いない。

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