漢詩と中国文化


杜甫の七言律詩「兗州の城樓に登る」(壺齋散人注)

  東郡趨庭日  東郡 庭に趨する日
  南樓縱目初  南樓 目を縱にする初め
  浮雲連海岱  浮雲 海岱に連なり
  平野入青徐  平野 青徐に入る
  孤嶂秦碑在  孤嶂 秦碑在り
  荒城魯殿余  荒城 魯殿余す
  從來多古意  從來 古意多し
  臨眺獨躊躇  臨眺して獨り躊躇す

杜甫の詩で今日に伝わるものは1400首余りに上る。だがそれらのうち30歳以前のものは数えるくらいしかない。大部分は40歳台半ば歳以降に書かれたものだ。だからといって、杜甫が若年の頃に詩を作らなかったとはいえない。晩年にいたって自分の詩を整理した際に、未熟のものを残さなかったからだというのが、通説である。

杜甫が自分の少年時代を回想した詩をもうひとつ取り上げる。上元二年(761)成都にあったときの作「百憂集行」。この頃の杜甫は、生涯でもっとも穏やかな生活を送っていた。そんなひと時に、往昔を回想しつつ、今の自分の境遇を自嘲的に描いたのが、この作品だ。

杜甫の少年時代から青年時代にかけてのことは、あまりよくわかっていない。文人としては名をとどめたが、生涯無官あるいは低官に甘んじたために、公的な記録もなく、自身も詳しい記述を残さなかったためだ。

李白の雑言古詩「臨路歌」(壺齋散人注)

  大鵬飛兮振八裔   大鵬飛んで 八裔に振ひ
  中天摧兮力不濟   中天に摧けて 力濟(つづ)かず
  余風激兮萬世     余風は萬世に激するも
  游扶桑兮挂石袂   扶桑に游んで 石に袂を挂く
  後人得之傳此     後人之を得え此を傳ふるも
  仲尼亡兮誰為出涕  仲尼亡びて 誰か為に涕を出ださん

李白の七言絶句「族叔刑部侍郎曄及び中書賈舍人至に陪して洞庭に遊ぶ」(壺齋散人注)

  洞庭西望楚江分  洞庭 西に望めば楚江分る
  水盡南天不見雲  水盡きて 南天 雲を見ず
  日落長沙秋色遠  日は長沙に落ちて秋色遠し
  不知何處弔湘君  知らず 何れの處にか湘君を弔はん

李白の七言古詩「夜郎に流され辛判官に贈る」(壺齋散人注)

  昔在長安醉花柳  昔 長安に在りて花柳に醉ふ
  五侯七貴同杯酒  五侯七貴 杯酒を同じくす
  氣岸遥臨豪士前  氣岸遥かに臨む豪士の前 
  風流肯落他人後  風流肯へて他人の後に落ちんや
  夫子紅顏我少年  夫子は紅顏 我は少年
  章臺走馬著金鞭  章臺に馬を走らせて金鞭を著く
  文章獻納麒麟殿  文章獻納す麒麟殿
  歌舞淹留玳瑁筵  歌舞淹留す玳瑁の筵

上三峽:李白

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李白の五言古詩「三峽を上る」(壺齋散人注)

  巫山夾青天  巫山 青天を夾み
  巴水流若茲  巴水 流るること茲(かく)の若し
  巴水忽可盡  巴水は忽ち盡すべくも
  青天無到時  青天は到る時無し
  三朝上黄牛  三朝 黄牛を上り
  三暮行太遲  三暮 行くこと太だ遲し
  三朝又三暮  三朝 又三暮
  不覺鬢成絲  覺えず 鬢絲と成るを

李白の七言絶句「永王東巡の歌」(壺齋散人注)

  二帝巡游倶未回  二帝巡游して倶に未だ回らず
  五陵松柏使人哀  五陵の松柏人をして哀しましむ
  諸侯不救河南地  諸侯は救はず河南の地
  更喜賢王遠道來  更に喜ぶ賢王の遠道より來るを

756年、安禄山によって長安を追われた玄宗は、成都に逃れて位を第三王子(粛宗)に譲った。一方第十六王子の永王には華南一帯を掌握するように命じた。だが永王は混乱に乗じて自分が実権を握り、皇帝になろうとする野心を抱いていた。李白はそんな永王とかかわったことが原因で、惨めな晩年を送ることになる。

李白の七言絶句「廬山の瀑布を望む」其二:壺齋散人注

  日照香炉生紫烟  日は香炉を照して紫烟を生じ
  遥看瀑布挂長川  遥かに看る瀑布の長川に挂かるを
  飛流直下三千尺  飛流 直下 三千尺
  疑是銀河落九天  疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと

李白の五言古詩「廬山の瀑布を望む」其一(壺齋散人注)

  西登香爐峰  西のかた香炉峰に登り
  南見瀑布水  南のかた瀑布の水を見る
  挂流三百丈  流れを挂(か)く 三百丈
  噴壑數十里  壑(たに)を噴く 数十里
  忽如飛電來  忽(こつ)として飛電の来るが如く  
  隠若白虹起  隠として白虹(はっこう)の起つが若し
  初驚河漢落  初めは驚く 河漢落ちて
  半灑雲天裏  半ば雲天の裏に灑(そそ)ぐかと
  仰觀勢轉雄  仰ぎ観れば 勢ひ転(うた)た雄なり
  壯哉造化功  壮(さかん)なる哉 造化の功
  海風吹不斷  海風 吹いて断えず
  江月照還空  江月 照らして空を還(めぐ)る

李白の五言古詩「豫章行」(壺齋散人注)

  胡風吹代馬  胡風 代馬を吹き
  北擁魯陽關  北のかた魯陽關を擁す
  呉兵照海雪  呉兵 海雪を照らし
  西討何時還  西討 何れの時にか還らん
  半渡上遼津  半ば渡る 上遼の津
  黄雲慘無顏  黄雲 慘として顏(かんばせ)無し
  老母與子別  老母 子と別れ
  呼天野草間  天を呼ぶ 野草の間
  白馬繞旌旗  白馬 旌旗を繞り
  悲鳴相追攀  悲鳴 相ひ追攀す
  白楊秋月苦  白楊 秋月苦(さ)え
  早落豫章山  早く豫章の山に落つ

李白の序文「春夜桃李園に宴するの序」(壺齋散人注)

  夫天地者萬物之逆旅 夫れ天地は萬物の逆旅にして
  光陰者百代之過客   光陰は百代の過客なり
  而浮生若夢       而して浮生は夢の若し
  爲歡幾何         歡を爲すこと幾何(いくばく)ぞ
  古人秉燭夜遊      古人燭を秉り夜遊ぶ
  良有以也         良(まこと)に以(ゆえ)有る也
  況陽春召我以煙景   況んや陽春の我を召すに煙景を以てし
  大塊假我以文章    大塊の我を假すに文章を以てするをや

李白の五言絶句(秋浦曲其十五「白髪三千丈」):壺齋散人注

  白髪三千丈  白髪三千丈
  縁愁似個長  愁に縁って個(かく)の似(ごと)く長し
  不知明鏡里  知らず明鏡の里(うち)
  何處得秋霜  何れの處にか秋霜を得たる

李白の五言古詩「秋浦歌十七首其一」(壺齋散人注)

  秋浦長似秋  秋浦長へに秋に似たり
  蕭條使人愁  蕭條として人をして愁へしむ
  客愁不可度  客愁度(すく)ふべからず
  行上東大樓  行きて東の大樓に上る
  正西望長安  正西に長安を望み 
  下見江水流  下に江水の流れを見る
  寄言向江水  言を寄せて江水に向かふ
  汝意憶儂不  汝の意儂(われ)を憶ふや不(いな)や
  遙傳一掬涙  遙かに一掬の涙を傳へ
  為我達揚州  我が為に揚州に達せよ

清溪行:李白

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李白の五言古詩「清溪の行(うた)」(壺齋散人注)

  清溪清我心  清溪 我が心を清くす
  水色異諸水  水色 諸水に異なる 
  借問新安江  借問す 新安江
  見底何如此  底を見ること 此と何如
  人行明鏡中  人は行く明鏡の中
  鳥度屏風里  鳥は度る屏風の里(うち)
  向晩猩猩啼  晩に向(なんなん)として猩猩啼き
  空悲遠游子  空しく遠游子を悲しましむ

李白の七言絶句「汪倫に贈る」(壺齋散人注)

  李白乘舟將欲行  李白舟に乘って將に行かんと欲す
  忽聞岸上踏歌聲  忽ち聞く岸上踏歌の聲
  桃花潭水深千尺  桃花潭水 深さ千尺
  不及汪倫送我情  及ばず汪倫の我を送るの情に

李白の五言絶句「晁卿衡を哭す」(壺齋散人注)

  日本晁卿辭帝都  日本の晁卿帝都を辭し
  征帆一片繞蓬壺  征帆一片蓬壺を繞る
  明月不歸沈碧海  明月歸らず碧海に沈み
  白雲愁色滿蒼梧  白雲愁色蒼梧に滿つ

送友人:李白

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李白の七言律詩「友人を送る」(壺齋散人注)

  青山横北郭  青山北郭に横たはり
  白水遶東城  白水東城を遶る
  此地一爲別  此の地一たび別れを爲し
  孤蓬萬里征  孤蓬萬里に征く
  浮雲遊子意  浮雲 遊子の意
  落日故人情  落日 故人の情
  揮手自茲去  手を揮って茲(ここ)より去れば
  蕭蕭班馬鳴  蕭蕭として班馬鳴く

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