元祐4年(1089)3月、蘇軾は浙西路兵馬鈐轄、知杭州軍州事に命じられた。杭州知事兼浙江一帯の軍の司令官といった役職だ。
漢詩と中国文化
蘇軾の題詩「王定國の藏する所の<煙江疊嶂圖>に書す」(壺齋散人注)
江上愁心千疊山 江上の愁心 千疊の山
浮空積翠如雲煙 空に浮かべる積翠は雲煙の如し
山耶雲耶遠莫知 山か 雲か 遠くして知る莫し
煙空雲散山依然 煙空しく 雲散じて 山依然たり
蘇軾の七言絶句「李世南畫く所の秋景に書す二首(其一)」(壺齋散人注)
野水參差落漲痕 野水參差として漲痕落つ
疏林攲倒出霜根 疏林攲倒して霜根出づ
扁舟一櫂歸何處 扁舟 一櫂 何れの處へか歸る
家在江南黃葉村 家は江南黃葉の村に在り
蘇軾は画家としても一流だった。北宋画の巨人として米芾と並び称される。その作風は幽玄を描いた水墨画である。士人画あるいは士大夫画と呼ばれることもある。要するに士大夫の画業ということである。
蘇軾は元豊八年(1,085)末に礼部郎中として召喚されるや、翌年早々には中書舎人となり、九月には翰林学士にスピード出世した。翰林学士とは詔勅の起草を担当する役職で、皇帝に最も近い位置にある要職である。
元豊8年10月、登州の知事に着任した蘇軾は、在任わずか5日にして礼部郎中として召喚された。その故蘇軾は、かねてみたいと思っていた登州の名物海市(蜃気楼)が見られないかもしれぬと、一旦はあきらめかけた。
蘇軾の七言絶句「王寂に贈る」(壺齋散人注)
與君暫別不須嗟 君と暫く別る 嗟するを須ひず
俯仰歸來鬢未華 俯仰のうちに歸來せん 鬢未だ華ならざるに
記取江南煙雨裏 記取す 江南煙雨の裏
靑山斷處是君家 靑山斷ゆる處 是れ君が家
蘇軾の詞「漁父」(壺齋散人注)
(其一)
漁父飲 誰家去 漁父飲んで 誰が家にか去(ゆ)く
魚蟹一時分付 魚蟹 一時に分付す
酒無多少醉為期 酒は多少と無く 醉ふを期と為す
彼此 不論錢數 彼此 錢の數を論ぜず
蘇軾の七言絶句「渓陰堂」(壺齋散人注)
白水満時双鷺下 白水満る時 双鷺下る
緑槐高処一蝉吟 緑槐高き処 一蝉吟ず
酒醒門外三竿日 酒は醒む門外三竿の日
臥看渓南十畝陰 臥して看る渓南十畝の陰
元豊八年、蘇軾は徐州へ赴任する前に常州の宜興に土地を求めた。できうればここに定着して余生を静かに送りたい、そう考えた蘇軾は常州居住の許可を朝廷に願い出た。朝廷ではその頃神宗皇帝が死去する騒ぎがあったが、蘇軾の願いは聞き届けられた。
蘇軾の四言絶句「荊公の韻に次す(その二)」(壺齋散人注)
斫竹穿花破綠苔 竹を斫り花を穿ち綠苔を破る
小詩端為覓榿栽 小詩は端(まさ)に榿栽を覓(もと)めんが為
細看造物初無物 細かに造物を看るに初め物無なし
春到江南花自開 春到れば江南花自ら開く
蘇軾は黄州を経って徐州に向かう途中、金陵(南京)にしばらく滞在した。その間に、生まれてまだ一歳にもならぬ妾腹の子遯が死んだ。
蘇軾の七言絶句「西林の壁に題す」(壺齋散人注)
橫看成嶺側成峰 橫より看れば嶺を成し 側よりすれば峰を成す
遠近高低各不同 遠近 高低 各 同じからず
不識廬山真面目 廬山の真面目を識らざるは
只縁身在此山中 只身の此の山中に在るに縁る
元豊7年(1084)蘇軾は黄州から徐州に移る途中廬山を訪ねた。僧侶の参寥が同行した。廬山に着くと大勢の土地の僧侶が集まってきて、蘇軾との交友を求めた。その頃すでに蘇軾の名は天下に知れ渡っていたのである。
黄州にいたころ、蘇軾は朝雲という女性を妾にした。朝雲は蘇軾の夫人が杭州時代に侍女にと買ったものだった。その時朝雲はまだ12歳、以後蘇夫人の侍女として仕えてきた。単なる女中ではなく、教養のある女執事のようなものだった。
蘇軾の五言古詩「寒食の雨(其二)」(壺齋散人注)
春江欲入戶 春江 戶に入らんと欲し
雨勢來不已 雨勢 來って已まず
小屋如漁舟 小屋 漁舟の如く
濛濛水雲裏 濛濛たり水雲の裏
空庖煮寒菜 空庖に寒菜を煮
破竈燒濕葦 破竈に濕葦を燒く
那知是寒食 那ぞ知らん是れ寒食なるを
但見烏銜紙 但だ見る烏の紙を銜むを
君門深九重 君門深きこと九重
墳墓在萬里 墳墓萬里に在り
也擬哭途窮 也た途の窮するに哭せんと擬す
死灰吹不起 死灰 吹けども起こらず
蘇軾の五言古詩「寒食の雨(其一)」(壺齋散人注)
自我來黃州 我の黃州に來りてより
已過三寒食 已に三たびの寒食を過せり
年年欲惜春 年年春を惜しまんと欲すれども
春去不容惜 春去って惜しむを容れず
今年又苦雨 今年又雨に苦しむ
兩月秋蕭瑟 兩月 秋蕭瑟たり
臥聞海棠花 臥して聞く海棠の花の
泥汙燕脂雪 泥に燕脂の雪を汙(けが)すを
暗中偷負去 暗中偷かに負ひ去る
夜半真有力 夜半 真に力有り
何殊病少年 何ぞ殊ならんや 病める少年の
病起頭已白 病より起きれば頭已に白きに
赤壁譜二編を書いたと同じころ、蘇軾は念奴嬌という詞を書いている。赤壁の戦いの立役者周瑜を歌ったものだ。
大江東去 大江東に去り
浪淘盡 浪は淘盡す
千古風流人物 千古風流の人物を
故壘西邊 故壘の西邊
人道是 人は道ふ是れ
三國周郞赤壁 三國周郞の赤壁なりと
亂石穿空 亂石は空を穿ち
驚濤裂岸 驚濤は岸を裂き
卷起千堆雪 卷き起こす千堆の雪
江山如畫 江山畫くが如く
一時多少豪傑 一時多少の豪傑ぞ
元豊五年の旧暦十月十五日の夜、蘇軾は再び赤壁を訪ねた。この時は、二人の客人と雪堂から臨皋亭に帰る途中、風雅な話をしているうちに、酒と肴を調達して、赤壁まで月見に出かけたのだった。
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