漢詩と中国文化


杜甫の七言絶句「秋興其二」(壺齋散人注)

  夔府孤城落日斜  夔府の孤城落日斜めなり
  每依北斗望京華  每(つね)に北斗に依りて京華を望む
  聽猿實下三聲淚  猿を聽いて實に下す三聲の淚
  奉使虛隨八月查  使を奉じて虛しく隨ふ八月の槎
  畫省香爐違伏枕  畫省の香爐違ひて枕に伏し
  山樓粉蝶隱悲笳  山樓の粉蝶悲笳に隱る
  請看石上藤蘿月  請ふ看よ石上藤蘿の月
  已映洲前蘆荻花  已に映ず洲前蘆荻の花

杜甫の七言律詩「秋興八首其一」(壺齋散人注)

  玉露凋傷楓樹林  玉露凋傷す楓樹の林
  巫山巫峽氣蕭森  巫山巫峽氣蕭森
  江間波浪兼天湧  江間の波浪天を兼ねて湧き
  塞上風雲接地陰  塞上の風雲地に接して陰る
  叢菊兩開他日淚  叢菊兩つながら開く他日の淚
  孤舟一繋故園心  孤舟一に繋ぐ故園の心
  寒衣處處催刀尺  寒衣處處刀尺を催す
  白帝城高急暮砧  白帝城高くして暮砧急なり

杜甫の七言律詩「白帝城の最高樓」(壺齋散人注)

  城尖徑昃旌旆愁  城尖り徑昃(かたむ)きて旌旆愁ふ
  獨立縹緲之飛樓  獨り立つ縹緲たる飛樓に
  峽坼雲霾龍虎臥  峽は坼け雲は霾(つちふ)り龍虎臥す
  江清日抱黿鼉遊  江は清く日は抱く黿鼉(げんだ)の遊ぶを
  扶桑西枝對斷石  扶桑の西枝斷石に對し
  弱水東影隨長流  弱水の東影長流に隨ふ
  杖藜歎世者誰子  藜を杖つき世を歎く者は誰が子ぞ
  泣血迸空回白頭  泣血空に迸って白頭を回らす

杜甫の七言絶句「夔州歌十絶句其七」(壺齋散人注)

  蜀麻吳鹽自古通  蜀麻吳鹽古より通ず
  萬斛之舟行若風  萬斛の舟の行くこと風の若し
  長年三老長歌裏  長年三老長歌の裏
  白晝攤錢高浪中  白晝錢を攤す高浪の中

杜甫の七言絶句「夔州歌十絶句其四」(壺齋散人注)

  赤甲白鹽俱刺天  赤甲白鹽俱に天を刺し
  閭閻繚繞接山巔  閭閻繚繞山巔に接す
  楓林橘樹丹青合  楓林橘樹丹青合し
  複道重樓錦繡懸  複道重樓錦繡懸かる

杜甫の七言絶句「夔(き)州の歌十絶句其一」(壺齋散人注)

  中巴之東巴東山  中巴の東巴東山
  江水開闢流其間  江水開闢より其の間を流る
  白帝高為三峽鎮  白帝の高くして三峽の鎮と為となり
  夔州險過百牢關  夔州の險しきこと百牢關に過ぐ

漫成:杜甫

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杜甫の七言絶句「漫に成る」(壺齋散人注)

  江月去人只數尺  江月人を去ること只數尺
  風燈照夜欲三更  風燈夜を照らして三更ならんと欲す
  沙頭宿鷺聯拳靜  沙頭の宿鷺聯拳靜かに
  船尾跳魚撥剌鳴  船尾の跳魚撥剌として鳴る

杜甫の五言律詩「錦水の居止を懐ふ二首其二」(壺齋散人注)

  萬里橋西宅  萬里橋西の宅
  百花潭北莊  百花潭北の莊
  層軒皆面水  層軒皆水に面し
  老樹飽經霜  老樹飽くまで霜を經る
  雪嶺界天白  雪嶺天に界して白く
  錦城曛日黃  錦城曛日黃なり
  惜哉形勝地  惜しい哉形勝の地
  回首一茫茫  首を回らせば一に茫茫たり

杜甫の五言律詩「禹廟」(壺齋散人注)

  禹廟空山裏  禹廟空山の裏
  秋風落日斜  秋風落日斜めなり
  荒庭垂橘柚  荒庭橘柚垂れ
  古屋畫龍蛇  古屋龍蛇を畫く
  雲氣生虛壁  雲氣虛壁に生じ
  江聲走白沙  江聲白沙に走る
  早知乘四載  早に知る四載に乘じ
  疏鑿控三巴  疏鑿三巴を控せしを

杜甫の五言律詩「旅夜に懷ひを書す」(壺齋散人注)

  細草微風岸  細草微風の岸
  危檣獨夜舟  危檣獨夜の舟
  星垂平野闊  星垂れて平野闊き
  月湧大江流  月湧きて大江流る
  名豈文章著  名は豈に文章もて著れんや
  官因老病休  官は老病に因って休む
  飄飄何所似  飄飄として何の似る所ぞ
  天地一沙鷗  天地の一沙鷗

永泰元年(765)五月、杜甫は五年に及んだ蜀での生活を切り上げ、家族を伴って船で三峡へと向かった。時に杜甫五十四、人生の終わりを迎えようとする時期に当たっていた、だから杜甫は長年胸のうちに溜め込んでいた望郷の思いを、吐き出さずにはいられなかったのだろう。おそらくあても無いままに、長江を東へ下ることにより、少しでも故郷の洛陽に近づきたい、そんな思いが杜甫を突き動かしていたのだと思う。

杜甫の成都での生活は5年半に及んだ。その大部分は知人たちを頼りながらの、貧しくも安寧な生活だった。その成都時代の最後、杜甫にとって重大な出来事が起こった。官吏に任命されたのである。職名は検校工部員外郎というものであった。わずか数ヶ月の短い期間在職したに過ぎなかったが、杜甫が生涯に達した最高の地位である。この地位の名称を以て杜甫は杜工部と称されることになる。

杜甫の七言古詩「憶昔」(壺齋散人注)

  憶昔開元全盛日  憶ふ昔開元全盛の日
  小邑猶藏萬家室  小邑猶ほ藏す萬家の室
  稻米流脂粟米白  稻米 流脂 粟米白く
  公私倉廩俱豐實  公私に倉廩俱に豐實たり
  九州道路無豺虎  九州の道路に豺虎無く
  遠行不勞吉日出  遠行勞せずして吉日出づ
  齊紈魯縞車班班  齊紈魯縞車班班
  男耕女桑不相失  男耕女桑相ひ失せず
  宮中聖人奏雲門  宮中の聖人雲門を奏し
  天下朋友皆膠漆  天下の朋友皆膠漆
  百餘年間未災變  百餘年間未だ災變あらず
  叔孫禮樂蕭何律  叔孫の禮樂 蕭何が律

杜甫の五言律詩「樓に登る」(壺齋散人注)

  花近高樓傷客心  花は高樓に近く客心を傷ましむ
  萬方多難此登臨  萬方多難此に登臨す
  錦江春色來天地  錦江の春色天地より來り
  玉壘浮雲變古今  玉壘浮雲古今變ず
  北極朝廷終不改  北極の朝廷終に改まらず
  西山寇盜莫相侵  西山の寇盜相ひ侵すこと莫かれ
  可憐後主還祠廟  憐む可し後主還祠廟
  日暮聊為梁甫吟  日暮聊か為す梁甫の吟

杜甫の五言律詩「牛頭山の亭子に登る」(壺齋散人注)

  路出雙林外  路は雙林の外に出で
  亭窺萬井中  亭は萬井の中を窺ふ
  江城孤照日  江城は孤として日に照らされ
  山谷遠含風  山谷遠た風を含む
  兵革身將老  兵革に身將に老いんとし
  關河信不通  關河 信通ぜず
  猶殘數行淚  猶ほ殘す數行の淚
  忍對百花叢  忍んで對す百花の叢

杜甫の五言律詩「有感五首」(壺齋散人注)

  將帥蒙恩澤  將帥 恩澤を蒙り
  兵戈有歲年  兵戈 歲年有り
  至今勞聖主  今に至るも聖主を勞せしめ
  何以報皇天  何を以てか皇天に報ぜん
  白骨新交戰  白骨 新交戰
  雲台舊拓邊  雲台 舊(もと)邊を拓く
  乘槎斷消息  乘槎 消息斷ゆ
  無處覓張騫  處として張騫を覓むる無し

杜甫の七言律詩「官軍の河南河北を收むるを聞く」(壺齋散人注)

  劍外忽傳收薊北  劍外忽ち傳ふ薊北を收むと
  初聞涕淚滿衣裳  初めて聞いて涕淚衣裳に滿つ
  卻看妻子愁何在  卻って妻子を看れば愁ひ何くにか在る
  漫捲詩書喜欲狂  漫に詩書に捲んで喜びて狂はんと欲す
  白日放歌須縱酒  白日放歌して須く酒を縱にすべし
  青春作伴好還鄉  青春伴を作して好し鄉に還らん
  即從巴峽穿巫峽  即ち巴峽より巫峽を穿ち
  便下襄陽向洛陽  便ち襄陽に下って洛陽に向かはん

杜甫の七言律詩「野望」(壺齋散人注)

  西山白雪三城戍  西山の白雪三城の戍り
  南浦清江萬裡橋  南浦清江の萬裡橋
  海內風塵諸弟隔  海內の風塵に諸弟隔たり
  天涯涕淚一身遙  天涯涕淚一身遙かなり
  惟將遲暮供多病  惟だ遲暮を將て多病に供し 
  未有涓埃答聖朝  未だ涓埃の聖朝に答ふる有らず
  跨馬出郊時極目  馬に跨がり郊を出で時に目を極めれば
  不堪人事日蕭條  堪へず人事の日々に蕭條たるに

杜甫の七言絶句「漫興九首其四」(壺齋散人注)

  二月已破三月來  二月已に破れて三月來る
  漸老逢春能幾回  漸く老いて春に逢ふこと能く幾回ぞ
  莫思身外無窮事  思ふ莫かれ身外無窮の事
  且盡生前有限杯  且く盡くせ生前有限の杯

杜甫の七言律詩「惜しむべし」(壺齋散人)

  花飛有底急  花の飛ぶこと底(なん)の急か有る
  老去願春遲  老い去っては春の遲きことを願ふ
  可惜歡娛地  惜しむべし歡娛の地
  都非少壯時  都て少壯の時に非ず
  寬心應是酒  心を寛うするは應に是れ酒なるべし
  遣興莫過詩  興を遣るは詩に過ぐるは莫し
  此意陶潛解  此の意陶潛解す
  吾生後汝期  吾が生汝が期に後れり

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