漢詩と中国文化


杜甫にとって、左拾遺の職を授けられて国政の一角を担えたことは生涯の中で最も幸福な時期といえるものだった、だがそれは長くは続かなかった。杜甫がかつて擁護した房琯が、奸臣たちによって再び古傷を云々されて、邠州の刺史に左遷されたことに伴い、房琯の一身とみなされていた杜甫も、華州の司功参軍に左遷されてしまったのである。時に乾元初年六月、左拾遺に任命されてわずか一年後のことだった。

杜甫の七言律詩「曲江二首其二」(壺齋散人注)

  朝回日日典春衣  朝に回りて日日春衣を典す
  每日江頭盡醉歸  每日江頭に醉を盡くして歸る
  酒債尋常行處有  酒債尋常行く處に有り
  人生七十古來稀  人生七十古來稀なり
  穿花蛺蝶深深見  花を穿つの蛺蝶深深として見え
  點水蜻蜓款款飛  水に點ずるの蜻蜓款款として飛ぶ 
  傳語風光共流轉  語を傳ふ 風光共に流轉して
  暫時相賞莫相違  暫時相賞すること相違ふこと莫かれと

杜甫が鄜州で家族と再会を果たしていた頃、情勢は大きな転機を迎えていた。すでに至徳二年の一月に、安碌山軍には碌山が子の安慶緒によって殺されるという内紛が生じ、緩みが生じていたところだが、粛宗はその緩みをついて反撃の機会を狙っていた。そして至徳二年九月、粛宗の軍はついに賊軍を撃破して、長安を回復した。

杜甫の五言古詩「羌村三首其一」(壺齋散人注)

  崢嶸赤雲西  崢嶸たり赤雲の西
  日腳下平地  日腳平地に下る
  柴門鳥雀噪  柴門 鳥雀噪ぎ
  歸客千裡至  歸客 千裡より至る
  妻孥怪我在  妻孥我が在るを怪しみ
  驚定還拭淚  驚き定まりて還た淚を拭ふ
  世亂遭飄蕩  世亂れて飄蕩に遭ひ
  生還偶然遂  生還偶然に遂げたり
  鄰人滿牆頭  鄰人 牆頭に滿ち
  感嘆亦歔欷  感嘆して亦歔欷す
  夜闌更秉燭  夜闌にして更に燭を秉る
  相對如夢寐  相對すること夢寐の如し

粛宗から左拾遺の職を授かった杜甫だが、一月足らずのうちにその職を危うくするような事態が起きた。陳陶、青阪の二つの戦で安碌山軍に大敗した房琯の責任を追及する声が起こったとき、杜甫は房琯を擁護したのだったが、そのことが粛宗の怒りに触れたのである。

至徳二年(757)旧暦四月、杜甫は安碌山占領下の長安を脱出して行在所のある鳳翔県に向かった。粛宗はこの年の二月、行在所をそれまでの霊武から長安により近い鳳翔県に移していたが、そのことを大雲寺の僧侶賛公から聞いた杜甫は、徒歩で三日ほどの行程なら、何とか歩いてたどり着けるだろうと思ったのだ。

杜甫の七言古詩「江頭に哀しむ」(壺齋散人注)

  少陵野老吞聲哭  少陵の野老聲を吞んで哭す
  春日潛行曲江曲  春日潛行す曲江の曲
  江頭宮殿鎖千門  江頭の宮殿千門を鎖す
  細柳新蒲為誰綠  細柳新蒲誰が為にか綠なる

杜甫の五言古詩「興を遣る」(壺齋散人注)

  驥子好男兒  驥子は好男兒なり
  前年學語時  前年語を學びし時
  問知人客姓  問知す人客の姓
  誦得老夫詩  誦し得たり老夫の詩
  世亂憐渠小  世亂れて渠の小なるを憐れむ
  家貧仰母慈  家貧しくして母の慈なるを仰ぐ
  鹿門攜不遂  鹿門 攜ふること遂げず
  雁足系難期  雁足 系(か)くること期し難し
  天地軍麾滿  天地 軍麾滿ち
  山河戰角悲  山河 戰角悲し
  倘歸免相失  倘(も)し歸って相ひ失ふを免かれなば
  見日敢辭遲  見る日 敢て遲きを辭せんや

憶幼子 杜甫

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杜甫の五言律詩「幼子を憶ふ」(壺齋散人注)

  驥子春猶隔  驥子 春猶ほ隔たる
  鶯歌暖正繁  鶯歌 暖かく正に繁し
  別離驚節換  別離 節の換るに驚ろく
  聰慧與誰論  聰慧 誰とか論ぜん
  澗水空山道  澗水 空山の道
  柴門老樹村  柴門 老樹の村
  憶渠愁只睡  渠を憶って愁ひて只睡り
  炙背俯晴軒  背を炙って晴軒に俯す

春望 杜甫

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杜甫の五言律詩「春望」(壺齋散人注)

  國破山河在  國破れて山河在り
  城春草木深  城春にして草木深し
  感時花濺淚  時に感じては花にも淚を濺ぎ
  恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  烽火連三月  烽火 三月に連なり
  家書抵萬金  家書 萬金に抵す
  白頭搔更短  白頭搔けば更に短く
  渾欲不勝簪  渾(すべ)て簪に勝(た)へざらんと欲す

對雪 杜甫

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杜甫の五言律詩「雪に對す」(壺齋散人注)

  戰哭多新鬼  戰哭 多くは新鬼なり
  愁吟獨老翁  愁吟するは獨り老翁
  亂雲低薄暮  亂雲 薄暮に低(た)れ
  急雪舞回風  急雪 回風に舞ふ
  瓢棄尊無綠  瓢棄てられて 尊に綠(さけ)無く
  爐存火似紅  爐存して 火は紅に似たり
  數州消息斷  數州 消息斷ゆ
  愁坐正書空  愁ひ坐して正に空に書す

悲青阪 杜甫

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杜甫の七言律詩「青阪を悲しむ」(壺齋散人注)

  我軍青阪在東門  我 青阪に軍して東門に在り
  天寒飲馬太白窟  天寒く馬に飲(みずか)ふ太白の窟
  黃頭奚兒日向西  黃頭の奚兒 日に西に向かひ
  數騎彎弓敢馳突  數騎弓を彎(ひ)いて敢て馳突す 
  山雪河冰野蕭瑟  山雪河冰 野は蕭瑟たり
  青是烽煙白人骨  青は是れ烽煙 白は人骨
  焉得附書與我軍  焉んぞ得ん 書を附して我が軍に與へ
  忍待明年莫倉卒  忍んで明年を待て 倉卒なる莫かれと

悲陳陶 杜甫

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至徳元年(756)10月、粛宗は長安を回復するための軍を出した。宰相の房琯が数万の兵を率いて、長安の西北咸陽近郊の陳陶斜において、安碌山の軍と激突したが、死傷者4万を出す大敗を喫した。さらに陳陶斜に近い青坂で再戦したが、これも大敗した。房琯は文人であって戦のことは知らなかったから、この敗北は当然のことだったといわれている。

杜甫の五言古詩「後出塞五首其五」(壺齋散人注)

  我本良家子  我は本(もと)良家の子
  出師亦多門  出師亦門多し
  將驕益愁思  將驕りて益々愁思す
  身貴不足論  身の貴きは論ずるに足らず
  躍馬二十年  躍馬二十年
  恐孤明主恩  明主の恩に孤(そむ)かんことを恐る
  坐見幽州騎  坐ろに見る幽州の騎
  長驅河洛昏  長驅して河洛昏し
  中夜問道歸  中夜問道より歸れば
  故裡但空村  故裡但だ空村なり
  惡名幸脫兔  惡名は幸ひに脫兔せるも
  窮老無兒孫  窮老にして兒孫無し

哀王孫 杜甫

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安碌山は天宝14年〖755〗の11月に兵を挙げると、破竹の勢いで南下し、一ケ月ほどで洛陽を攻略した。そして翌年の正月に、自ら雄武皇帝と称し、国号を大燕とする新王朝を宣言した。燕は安碌山の拠点、河北地方の別称である。

月夜 杜甫

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杜甫の七言律詩「月夜」(壺齋散人注)

  今夜鄜州月  今夜 鄜州の月
  閨中只獨看  閨中 只獨り看る
  遙憐小兒女  遙かに憐れむ小兒女の
  未解憶長安  未だ長安を憶ふを解せざるを 
  香霧雲鬟濕  香霧 雲鬟濕ひ
  清輝玉臂寒  清輝 玉臂寒からん
  何時倚虛幌  何れの時にか虛幌に倚りて
  雙照淚痕乾  雙び照らされて淚痕乾かん

彭衙行 杜甫

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杜甫が奉先県に家族を迎えに行った天宝14年(755)の11月には、安碌山の乱が始まった。安碌山は范陽(北京)で兵を挙げるや、怒涛の勢いで長安に攻め上る。その数20万、長安の陥落は時間の問題だとされた。その知らせを奉先県で聞いた杜甫は、家族とともに長安に戻るという計画を捨て、安全を求めて、家族をさらに北方へと避難させることにした。

天宝13年(754)の春、長安での生活に窮した杜甫は、妻の親戚のつてを頼って、妻子を奉先県に寄寓させた。奉先県は長安の東北120キロの地点にある。妻は夫の杜甫に別れを告げ、長女の宗文4歳、長男の宗武1歳をつれて、泥土の中を歩いて奉先県に赴いたことと思われる。

杜甫の七言古詩「秋雨の嘆き」(壺齋散人注)

  闌風伏雨秋紛紛  闌風伏雨 秋紛紛
  四海八荒同一雲  四海八荒 同じく一雲
  去馬來牛不復辨  去馬來牛 復た辨ぜず
  濁涇清渭何當分  濁涇清渭 何ぞ分つべけん
  禾頭生耳黍穗黑  禾頭は耳を生じ 黍穗は黑く
  農夫田父無消息  農夫田父 消息無し
  城中斗米換衾裯  城中 斗米 衾裯に換ふ
  相許寧論兩相直  相許さば寧ぞ兩つながら相ひ直るを論ぜん

麗人行 杜甫

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杜甫の雑言古詩「麗人行」(壺齋散人)

  三月三日天氣新  三月三日 天氣新たなり 
  長安水邊多麗人  長安の水邊 麗人多し
  態濃意遠淑且真  態濃(こま)やかに意遠くして 淑且つ真
  肌理細膩骨肉勻  肌理細膩にして骨肉勻(ひと)し
  繡羅衣裳照暮春  繡羅の衣裳暮春を照らす
  蹙金孔雀銀麒麟  蹙金の孔雀 銀の麒麟
  頭上何所有     頭上 何の有る所ぞ
  翠為姶葉垂鬢唇  翠は姶葉と為りて鬢唇垂る
  背後何所見     背後 何の見る所ぞ
  珠壓腰衱穩稱身  珠は腰衱を壓して穩やかに身に稱ふ

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