貧乏人の死 La Mort des pauvres :ボードレール
ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「貧乏人の死」 La Mort des pauvres を読む。(壺齋散人訳)
ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「貧乏人の死」 La Mort des pauvres を読む。(壺齋散人訳)
ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「旅」 Le Voyage を読む。(壺齋散人訳)
散文詩集「パリの憂鬱」はボードレールの晩年を飾る作品群である。ボードレールは晩年に至って、韻文の形式で詩を書くことに困難を感じたらしく、もっぱら散文の形で詩情を綴るようになるが、それはそれで「悪の華」とは一味違う独特の世界をかもし出すことに成功している。ボードレール自身も、そこに新しい可能性を感じ取り、百篇くらいを書き上げて、散文詩集の形で出版したい意向を持つようになった。しかしその願いは達成されず、彼の死後、残された51篇の作品が「パリの憂鬱」と題して出版された。
ボードレール「パリの憂鬱」から「異邦人」(壺齋散人訳)
「一番好きなものは何かい、いってごらん謎めいた人よ、父親、母親、妹、それとも弟かい?
「わしには父も母も、妹も弟もおらぬ
「じゃあ友達かい?
「そんな言葉は、今に至るまでわしの知らぬ言葉じゃ
「祖国かい?
「そんなものがどこにあるかも知らぬ
「美かい?
「女神や不死神なら、好きになっても良い
「金は?
「あんたが神を嫌いなように、わしは金が大嫌いじゃ
「いったい何が好きなんだ、変わった異邦人よ
「わしが好きなのは雲じゃ、あそこに浮かんでるあの雲、あのすばらしい雲じゃ
ボードレール「パリの憂鬱」から「老婆の絶望」(壺齋散人訳)
しなびれた小さな老婆が、可愛い子どもを見て目を細めた。みなが可愛がり、いつくしんでいるこの小さな子どもは、彼女のように弱々しい。老婆もまた、この小さな子どものように、歯もなく髪も生えてないのだ。
ボードレール「パリの憂鬱」から「芸術家の懺悔」(壺齋散人訳)
秋の夕暮れの何と心に沁みることよ。苦痛なまでに心に染み入る。この世には、漠然としつつも強烈さを失わないある種の甘美な感覚がある。輪郭の定まらぬ切っ先ほどする鋭いものはない。
ボードレール「パリの憂鬱」から「おどけ者」(壺齋散人訳)
新年のお祭騒ぎだ。泥と雪の混沌の中を、夥しい馬車が行き交い、玩具と菓子がきらきらと輝き、欲望と絶望がめくるめく。大都会のお祭騒ぎは、孤独な連中の脳味噌さえ浮かれさせるのだ。
ボードレール「パリの憂鬱」から「キマイラを背負った人々 」 Chacun sa chimère(壺齋散人訳)
灰色の空の下、道もなく、芝もアザミもイラクサも生えぬ埃まみれの大地を、腰を曲げて歩いていく一団の人々に出会った。
彼らの一人一人は背中に巨大なキマイラを背負っている。それは小麦粉か石炭を詰め込んだズタ袋のように、あるいはローマ歩兵の背嚢のように重く見えた。
ボードレール「パリの憂鬱」から「道化とヴィーナス」(壺齋散人訳)
何とすばらしい日なんだろう!広い公園も燃えるような太陽の下でうっとりとしている。まるで若い娘がキューピッドに操られているかのようだ。
ボードレール「パリの憂鬱」から「犬と香水瓶」Le chien et le flacon(壺齋散人訳)
「私の子犬、可愛いワン公、こっちへきて香水の匂いを嗅いでごらん、最高級の店で買ってきたんだぞ。」
ボードレール「パリの憂鬱」から「群集」 Les foules(壺齋散人訳)
群集のなかに湯浴みすることは誰にでもできるものではない。群集を享受することはひとつの芸術なのである。幼い頃妖精によって仮装と仮面への趣味を吹き込まれ、定住を嫌い、旅を愛する者のみが、人類にツケを回して、陽気な酒盛りを楽しむことができる。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「髪の毛の中の半球」Un hémisphère dans une chevelure (壺齋散人訳)
いつまでも、いつまでも、お前の髪の匂いをかがせておくれ。渇いた人が泉に顔をくっつけるように、我が顔をお前の髪に埋め、香水を染み込ませたハンカチのような我が手でお前の髪を揺さぶり、思い出のかけらを大気のなかに撒き散らしたい。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「貧乏人の玩具」Le joujou du pauvre(壺齋散人訳)
無邪気な気晴らしをひとつ、諸君に教えてあげよう。この世には罪のない遊びが少なすぎるから。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「酔っていたまえ」Enivrez-vous(壺齋散人訳)
常に酔っていることが肝要だ。すべてはそこにある。これこそ唯一の問題なのだ。君の肩に食い込み、君を地面に向かって傾けさせる時の重荷を感ぜずにいるためには、休みなく酔っていなければならぬ。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「もう」Déjà(壺齋散人訳)
既に百度も太陽は、水平線がかろうじて見える海の、この巨大な桶の中から、輝かしくあるいは悲しげに出現したのだった。既に百度も太陽は、夕暮れの巨大な水槽の中に、きらめきつつ或いは不機嫌そうに沈んだのだった。もう何日も前から、我々は天空の反対側に思いを馳せ、そこに何があるか憶測してきた。どの船客もぶつぶつと不平を鳴らした。陸地の近づいたことが、彼らの苛立ちを募らせたのかもしれない。「いったいいつになったら」と彼らはいうのだ。「高波に揺られ、どよめく風に煽られながら寝なくともすむようになるのだ?いったいいつ、海水のように塩辛くない肉を食えるのだ?いつになったら、ちゃんとした椅子に腰掛けて食事ができるようになるのだ?」
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「窓」Les Fenêtres(壺齋散人訳)
開け放たれた窓から外を見ているものは、外から閉ざされた窓を見ているものほど多くを見てはいない。シャンデリアに照らされた窓ほど、深遠で、謎めいて、実り多く、不可解で、かつ眩いものがあるだろうか。太陽の下の出来事は、窓ガラスの背後に起こることほど興味をそそりはしない。この暗い、あるいは明るい穴の中では、命が息づき、命が夢想し、命が悶えている。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「描きたくなる欲求」Le Désir de peindre(壺齋散人訳)
人間というものは恐らく不幸にできている、だが欲求に引き裂かれた芸術家は幸福だといえる。
私はある女を描きたい欲求にさいなまれている。彼女は稀に現れたと思えばすぐにいなくなり、宵闇に吸い込まれる旅人の背後に浮かび上がった美しい残像のようなのだ。彼女を目にしなくなってから、すでに長い時間が過ぎた。
彼女は美しい、驚くべき美しさなのだ。彼女のうちには暗黒が満ち広がり、彼女が呼び起こすものは夜のように深い。彼女の眼は神秘がきらめく洞穴であり、彼女のまなざしは閃光のようだ。それは闇が爆発する輝きだ。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「競走馬」Un Cheval de race(壺齋散人訳)
彼女は美しくはない、だが優雅なのだ。
時間と愛とが、人に爪跡を刻み、ひと時の流れ、接吻の一つひとつが若さと瑞々しさを奪っていくことを、残酷にも彼女に教えてくれた。
彼女は醜い。アリのようであり、クモのようであり、そういいたければ骸骨そのものといってよい。しかしまた同時に、媚薬であり、権威であり、魔法でもある。要するに彼女は素晴らしいのだ。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「港」Le port(壺齋散人訳)
人生の戦いに疲れた魂にとって、港は魅力ある滞在場所だ。豊かな空、動く建築物のような雲、色彩を変化させる海、光きらめく灯台、これらは人の目を楽しませる素晴らしいプリズムであり、決して人を飽きさせることがない。帆を複雑に絡ませてそびえる船の形、それに波が押し寄せて調和ある揺れをもたらし、魂にリズムと美への嗜好を養ってくれる。またとりわけ、神秘的で貴族趣味の快楽がそこにはある。それは、もはや好奇心も野心もなく、見晴台の上で横になったり、あるいは防波堤に肘つきながら、出船入船の様子を伺いつつ、まだ欲する気力を持っている者、旅をし、豊かになろうと欲する者を、隈なく眺め渡すことである。
ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「うやうやしき射撃手」Le galant tireur(壺齋散人訳)
馬車が森のなかを走っていたとき、彼は射的場の近くに馬車を止めさせてこういった、時間つぶしに弾を二三発撃つのもよいだろう、時間をつぶすのは、誰にとってもごくありふれた、しかも正当なことだもんなと。そういうと彼は、魅力的だが憎たらしい女、喜びでもあり苦しみでもあり、恐らくは生きがいそのものでもある自分の妻にむかって、うやうやしく手を差し伸べた。