タレス:最初の哲学者
今でも大学の哲学史の授業では、そもそも哲学なるものはギリシャの賢人タレスに始まると教えているのではないだろうか。
今でも大学の哲学史の授業では、そもそも哲学なるものはギリシャの賢人タレスに始まると教えているのではないだろうか。
哲学史においてピタゴラスの果たした役割は、実に複雑で含意に富んだものであった。ピタゴラスは一方では、例の三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。
ヘラクレイトスはイオニアのギリシャ諸都市の一つエペソスの人で、紀元前500年頃に活躍したし思想家である。イオニアの人ではあるが、ミレトス派の説とは異なった独特の思想を作り上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説いた。
パルメニデスは、プラトンのイデア論にインスピレーションを与え、そのことを通じて、西洋哲学二千数百年の伝統の中で、格別の貢献をしたといえる。パルメニデスは形而上学の創始者と目されてしかるべき哲学者なのである。
エレアのゼノンは有名な「アキレスと亀の競争」の逆説によって、広く知られている。
エンペドクレスは紀元前440年ころが活動のピークだったとされ、パルメニデスよりは一世代後の時代の人である。シチリアのアクラガスに生まれ、ピタゴラス以来のイタリアの知的伝統を受け継いだが、他方ではミレトス派の自然哲学の流れを集成し、多元論的な世界観を展開した。
アナクサゴラスはアテナイに哲学をもたらした人である。その学説はイオニアの自然学の伝統に立ち、科学的精神に満ちたものだった。そこをペリクレスに買われ、アテナイに智恵あるものとして招かれたという。かれは生涯のうち30年間をアテナイで過ごしたが、最後はアテナイ市民によって裁かれ追放された。
原子論は、タレスに始まる初期ギリシャの自然哲学的世界観の一つの到達点を示している。ギリシャの哲学者たちは、世界を形作っているそもそものもと、つまりアルケーとは何かについて考察を進めるうち、質量としてのアルケーについてはますます多元論的な方向に向かう一方、存在を非存在から峻別し、存在者を存在させている原因とは何かについて、考察を深めていった。レウキッポスとデモクリトスの原子論は、これらの問題に一定の結論をもたらしたのである。
プロタゴラスやゴルギアスを始めソフィストと呼ばれる人々は、プラトンが多くの対話編の中で取り上げ、良きにつけ悪しきにつけその説に言及しているから、今日哲学を学ぶものにとっては、哲学史の一ページを埋めるための、なくてはならない人びとのように受け取られている。
ソクラテスは西洋哲学史上画期的な存在である。真の哲学はイオニアの自然学ではなくソクラテスに始まるという見方もあるほどだ。ソクラテスの思想はプラトン、アリストテレスを通じて後世に伝えられ、それが西洋哲学の太い流れとなったことを考えれば、当然の見方といえなくもない。
ソクラテスがアテナイの法廷によって裁かれ、死刑判決を受けたのに対して、弟子のクセノポンとプラトンは師を擁護するための弁明の書を書いた。クセノポンは旅行先にあって裁判の様子を見てはいなかったが、プラトンの方は法廷での様子を身近に見ていた。したがって、プラトンの「ソクラテスの弁明」は、法廷におけるソクラテスの様子や、そこで自ら述べたであろう主張を、忠実に伝えているとされてきたのである。
「饗宴」は、プラトンの作品の中でも最も知られているものだ。テーマが「エロス」つまり愛とか恋とかいわれるものであり、ギリシャ風の宴会スタイルにのっとって、出場者たちが次々と珍説を展開していくという筋運びが、わかりやすくまた艶めいてもいるからだろう。
ソクラテスの方法はディアレクティケー(弁証法)と呼ばれるものである。この言葉は近代に至ってヘーゲルが自分の方法として用いるようになったので、また別の色合いを持たされるようにもなったが、もともとは弁論・弁証を通じて、真理とは何か、徳とは何かについて、考究しようとする方法であった。
プラトンが西洋哲学に及ぼした影響は計り知れないものがある。その説は、一部はアリストテレスによってソフィスティケートされて、その後の西洋的な知の枠組みを制約し続けてきた。それは一言では言い表せないが、現象を理解する際の概念的で論理的な方法であり、また世界の本質を理念的なものとしてとらえる態度であるといえよう。
プラトンの対話編「テアイテトス」は、プラトンがソクラテスから自立して独自の思想を展開し始めた中期の作品群の先頭をなすものである。彼の思想の最大のテーマとなった「イデア」の研究に向けての橋頭堡ともなった。
プラトンが良きにつけ悪しきにつけ西洋哲学にもたらした最大の寄与は、イデアの解明とそれにもとづく観念論的世界観を確立したことだろう。プラトン以降の西洋の哲学的伝統は、個別と普遍、現象と実体、存在と知識、世界の認識論的解明といった諸問題についてかかわり続けてきたが、それらの諸問題はすべて、プラトンによってはじめて体系的な形で提出されたのである。
プラトンは倫理思想については、師ソクラテスの教えを生涯忠実に守った。ソクラテスによれば徳とは知識であり、従って教えることのできるものであった。人は真理を知っておりながら、それを実践しないことは矛盾である。だから、人びとに正しい知識を持たせれば、おのずから徳が実現されるようになる。
プラトンの理想とした国家像は原始共産制的階級社会というべきものであった。原始的とはいえ、共産主義と階級社会とは相容れないもののように考えられがちであるが、プラトンはこれらを融合させて、究極の超国家主義的な社会のありかたを理想のものとして夢見たのであった。
プラトンはイオニアの自然哲学者たちのようには、自然に大きな関心を持つことがなかった。かれが自然を問題として取り上げるときには、つねにイデア、つまり理性的な存在者との関連のもとに考察する。自然はそれ自体では、自足し完結した存在ではなく、イデアの似姿としてのみ意義を持ちえたのである。
プラトン哲学の著しい特徴は、実在と仮象、イデアと現象的な世界、理性と感性とを峻別する厳しい二元論である。プラトンはこれらそれぞれに対をなすものうち、前者こそが真理や善にあずかるものであり、後者はかりそめなものに過ぎないという、強い確信を持っていた。