美を読む


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ブリューゲルは聖書に語られている出来事を、同時代のネーデルランドを舞台にして描いた。この絵は、ルカ福音書の一節に基づいたものだ。

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画面の左手には氷の張った川でスケートを楽しむ人々が描かれ、右手の大木の下には戸板で仕掛けた罠の周りを鳥たちが無心で飛び跳ねている。鳥が危険にさらされているのは明らかだが、人間だって危険でないわけではない、いつ氷が割れるかもしれないからだ、とブリューゲルはいっているようにも聞こえる。

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ブリューゲルの「月歴画連作」の最後の作品ともいえる「牛群の帰り」は、11月を描いている。11月は秋から冬への移行期で、丘で放牧していた牛たちを麓の小屋に移す季節だ。この絵はその移動の様子を描いたものだ。

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この絵「穀物の収穫」は、月歴画連作のうち8月を描いたものである。良く実って刈入れを待っている麦畑が画面の下半分を領し、上半分には穏やかな色をした空と、のんびりとした田園風景が描かれている。

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この絵「干し草の収穫」は月歴画連作のうちの7月を描いたものだとされる。背景には雄大な自然がのびのびと描かれ、その手前に広がった牧草地では干し草の収穫が行われている。収穫に励む人々は、みな風景の中に溶け込んでいる。

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月歴画連作の2番目、2月を描いたのがこの「暗い日」である。2月は一年のうちで最も暗く寒い日、画面の暗さがそのことをよく物語っている。

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1565年から翌年の初めにかけて、ブリューゲルは月歴画連作と呼ばれる一連の作品を描いた。月ごとの人々の習俗を、当時のネーデルランドの風景を背景にして描いたものだ。ブリューゲルはこれらを、アントワープの商人ヨンゲリングの注文に応じて描いたが、現存するのは5点のみである。

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ブリューゲルは「東方三博士の礼拝」をテーマにした絵を三点描いた。この絵はその最初の作品。このテーマはブリューゲルの先輩ボスも好んで取り上げたから、あるいはそれに触発されたのかもしれない。

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ブリューゲルは、宗教画を描くことはあまりしなかったが、1564年に、キリストの死と生誕をテーマにした絵を何点か描いた。これはそのうちの一点、「十字架を担うキリスト」だ。アントワープの美術収集家ヨンゲリングの依頼に基づいて描かれたのではないかとされている。ヨンゲリングはブリューゲルの絵を16点所有していたが、そのすべてはハプスブルグ皇帝家に収められた。

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2枚現存するブリューゲルのバベルの塔のうちロッテルダムにあるものがこれだ。両方とも同じような構図だが、こちらは塔が紅く塗られ、建設工事がほぼ終わった状態であることを物語っている。

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バベルの塔をテーマにした絵をブリューゲルは3枚描き、そのうちの2枚が現存する。一枚はここで取り上げるウィーンにある作品、ほかの一枚はロッテルダムにある一回り小さな作品だ。

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この絵には背景としてアントワープの町が描かれているという。ブリューゲルがアントワープを描いたのはこの絵だけだ。これを描いた翌年(1563年)、ブリューゲルはアントワープを去ってブリュッセルに移り住んだ。

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ブリューゲルは聖書に題材をとった作品をいくつか描いているが、この「サウルの自殺」もその一つである。ブリューゲルはこの絵を「サムエル記」の記述をもとに描いた。

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ブリューゲルの時代には、死は身近な出来事だった。戦争や疫病によって、人々はごく簡単に死んでいったものだ。そこは死が勝ち誇った世界だったわけである。そんな死の威力を、画家たちはつかれたように描いた。死の舞踏とか、死の勝利といったテーマのもとで。

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「悪女フリート」は、フランドルの説話に出てくるキャラクターだ。地獄の入り口に立って、やってくる人々を待ち構え、彼らから身ぐるみをはぐという、とてつもない女のことだ。ブリューゲルはこの悪女を題材にして、この絵を描いた。

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悪魔や地獄そして死神といったテーマは、ブリューゲルの時代の人々にとってはなじみの深いものだった。その時代には宗教対立やそれが原因になった宗教戦争が日常的に行われ、多くの人々が互いに敵を悪魔と罵りあい、殺し合った。一方でペストをはじめ疫病が繰り返し人々を襲い、死は世界中に充満していた。

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「イカロスの墜落」と題するこの作品は、ブリューゲルがイタリア旅行から戻ってきた少し後に描いたものだとされている。一連の油彩画を描く以前のことで、1558年以前の創作だろうと思われている。

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「子どもの遊び」と題するこの作品の中で、ブリューゲルは実に250人以上の子どもたちを描いている。彼らの多くは大人のお下がりのようなだぶだぶの服を着て、あらゆる種類の遊戯に熱中している。

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「謝肉祭と四旬節の争い」は「ネーデルラントの諺」同様1559年に描かれたものだが、当時の民衆の生活がいっそう生き生きと、詳細に描き出されている。評論家の中には「謝肉祭」はプロテスタントを、「四旬節」はカトリックを表し、当時のネーデルラントで進行していた、宗教対立を寓意的に描いたという解釈をするものもあるが、そうした解釈を超えて、民衆の生活をパノラマ風に描いたと受け取る方が生産的だろう。

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1559年はブリューゲルにとってターニング・ポイントとなる年だった。二三年前から描き始めていたらしい油彩画を、この年から本格的に描き出すのだ。しかもそれは西洋絵画の上でも、強烈なインパクトを持つ作品群だった。

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